こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
先日、我々夫婦の暮らし方について、ご紹介しました。
この記事を書いていて、突然離婚されてしまった友人Aくんのことを思い出しました。
今回は、「いま目の前にいる人を大事にしてる?家庭をつくりたかったAくんの話。」についてお伝えします。
友人Aくんとは
友人Aくんは、突然奥さんに家を出ていかれ離婚となって、精神的におかしくなっちゃった30代男性です。
その時に私がなんとなく引っかかることを、終始言っていたんですよね。
すっかり忘れていたのですが、冒頭のブログ記事を書いている時に、ふと思い出したというわけです。
Aくんは「理想の家庭」がつくりたかった

Aくんは、奥さんが去ったことに混乱していましたが、何度もこんなことを言っていました。
- 自分は、温かい理想の家庭がつくりたかった
- 理想の家庭をつくるために、いろいろがんばっていたのに
- 相手にとっても理想の家庭のはずなのに、どうして
この話を聞いて、Aくんには明確な家庭の理想像があるのだな、と思いました。
そこで「Aくんにとっての理想の家庭像とは?」を詳しく聞いてみたところ、こんな内容でした。
両親は共働き、やりがいと経済的余裕があり、子どもが1〜2人いて、週末は家族だんらん
これ自体に何も変わった話ではないのに、私はなんだか彼の話を聞いていて、ずっと不穏な違和感を感じていたんですよね。
冒頭の記事を書いていた時に、自分があの時に何を不穏に思っていたか、ようやくわかりました。
Aくんは、奥さん個人のことを見ていなかった
今思えば、私が違和感を感じていたのは、Aくんが
奥さん個人について、一切触れていなかったこと
でした。
- 彼女を愛していた
- 彼女がいなくてさびしい
という話が一切でてこなくて、終始「自分の理想の家庭が失われた」ことについて嘆いていたのです。
もしかすると、Aくんは理想の家庭づくりに心を傾けるあまり、大きなものを見失っていたのかもしれません。
私が話を聞く限り、奥さまのことは、
自分の理想の家庭をつくるうえでの、構成要員の一人としてしか見ていない
という印象を受けました。(その時はここまで言語化できなかったけど。)

もちろん本当のところはわからない。私が、ただそう感じたという話です。
Aくんのような人がパートナーだったら、自分は何を思う?
もし自分の夫が、私と暮らしたいのではなく、私個人と向き合うことがなく、
自分の理想の家庭をつくるための、構成要員の一人
としてしか見ていなかったら、自分はどう思っただろう?
家庭に縛られる不自由さを感じたかもしれないし、自分自身を見てもらえない孤独を感じたかもしれないなあ。
もちろん、Aくん夫妻に何があったのかは、おふたりにしかわからない問題です。
ただ、自分の価値観では、「理想の家庭」やら「家族という単位」に、あまり興味がなかったということがわかりました。

というか、理想の家庭像というものを持ったことがない。みんなはどう?
いずれにせよ、私があなたにお伝えしたいのはこちらです。
あなたは、いま目の前にいる人のことを見ていますか?
夫婦に限らず、全ての人間関係において、これが最も大切だと思いますよ。
まとめ
以上、「いま目の前にいる人を大事にしてる?家庭をつくりたかったAくんの話。」についてお伝えしました。
私の結論は、こちらでした。
- 理想の家庭に固執するのは、危険なのかも。
- 目の前にいる人に向き合い、尊重しよう。
あの事件(とあえて呼ぶよ、ほんと怖かったから。)以降会ってはいないのですが、Aくん今元気かなあと思い出すことは度々あります。
人はどん底に落ち込んだとしても、何度でも人生を立て直すことができます。
その時がきたら、「あの時は大変だったけど、なんとか生き延びたね〜。」と笑って話したいと思います。
【関連】あの事件の内容はこちら。