こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
少し前に知り合い女性と話していて、自分を省みたことがあります。
それは、我々の世代であたりまえだった「冷笑文化」についてでした。
今回は、「冷笑文化で生きてきた40代、今後は相当気をつけないと、自分が損をすると思った話。」についてお伝えします。
興味深い、知り合いの冷笑ポイント

とある知り合い女性の発言で、私が興味深いと思った内容を説明します。
その方と世間話で、私が
このあいだ、SNSで知り合ったお友達と◯◯に行ってきたんだけど、(略)
と言う時に、彼女が必ず、こんな合いの手(?)を入れるのです。
ああ、オフ会ね(笑)
最初はただの軽いツッコミだと思って流していたのですが、何かとこのワードを発するので、3回目くらいで、ん?と思うようになりました。
そこで4度目に彼女の表情も観察してみると、どうやら私をイジっている、もっというと小馬鹿にしている表情をしていました。

SNSで知り合った友達=オフ会。どこにイジる要素があるんだ?
これ、どういうことか、みなさんわかります?
私は、彼女の思考を聞くまで、全然わからなかった!
知り合いの、謎の冷笑を深掘りしてみた
別の話題の時にそれとなくその冷笑ポイントを深掘ってみたところ、鈍感な私にもようやく理解できました。
彼女のなかでは、「SNSで知り合った」について、こう思っていたのです。
- SNSで知り合う→オフ会→生活が寂しい人たちがとる行動
- オフ会→おばさんが集まり、必死にアイドルの生誕祭などをするイメージ
- オフ会というものには行ったことがないけれど、なんか気持ち悪い
かなり遠回しに言っていたけど、端的にいうとこんな感じ。

「オフ会」というワードへの偏見がすごくて笑った。
なるほど、だから私がSNS繋がりの人の話をすると、冷笑していたのね、と腑に落ちました。
あと、なんとなーーーくですが、私が楽しそうに話しているのも、若干気に入らないのかな?と感じました。これはなんとなくですが。
冷笑していることに、本人は無自覚なのかも
これらは彼女の思考・偏見なので、特に私が不快に思うこともないし、反論もしません。
それよりも私が興味深いと思った点は、おそらく本人のなかでは
自分が人を冷笑し、さらに相手にわざわざ表現している
という自覚がないことなんですよね。
冷笑文化のなかで生きてきた、現在40代のわたしたち
世代を雑にカテゴライズするのが乱暴なことは重々理解していますが、わかりやすくするために、ここではあえてします。
私は現在40代半ばなのですが、育ってきた文化にはこういったことが多くありました。
- 必死な人を冷笑する
- 一生懸命はかっこ悪い
- ゆるい空気がかっこいい
- 無邪気なことは恥ずかしい
我々の時代は、学校でも家庭でも、自分を含め、無気力な雰囲気が漂っていました。
いわゆるしらけた世代というか、周りを冷笑することで自分たちを守っている感じ。
冷笑文化、終了の時代へ
その知り合いと話していて、彼女はまだこの文化のなかで生きているんだな、と思いました。
今の私が違和感をもったように、現代での冷笑って悪目立ちしてしまうのかも。
冷笑は、周りによい印象を与えないどころか、自らを貶すことに繋がります。
自分も彼女のように無意識に人を冷笑して、それを表現していることがあるかもしれません。
あたりまえに冷笑文化で育った40代だからこそ、自分も気をつけようと学びました。
まとめ
以上、「冷笑文化で生きてきた40代、今後は相当気をつけないと、自分が損をすると思った話。」についてお伝えしました。
私の結論は、こちらでした。
- 冷笑文化の時代は終わりました
- 今の40代は、冷笑文化で育った世代(かも)
- 人を冷笑することのないよう、気をつけます
この話は、ボランティアで会う中学生さんと話していて、ふと思い出した話でした。
中学生さんいわく「冷笑はダサい。一生懸命やるほうがかっこいい」とのこと。
一生懸命やるほうがかっこいい文化、ってなんかいいな。
といいつつ、彼女は「一生懸命やれない自分は息苦しい」とも言っていたので、どの時代にも息苦しさはあるのかもしれません。
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