こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
私は会社員時代、週刊の仕事をしていた時期がありました。
その時代に業務量と締切によるストレスが大きすぎて倒れかけたのですが、私が最も辛かったのは
組織で誰にも守ってもらえない孤独感
でした。
今回はそのことについて、私の経験談をご紹介します。
私にとっては、これが個人業に移行する転機のひとつになりました。
もし同じ経験のある方・同じ状況かも?という方がいたら、何らかの参考になるかもしれません。
週刊の仕事とは
私の業界を説明することはしませんが、週刊少年○ャンプの編集部にいた知り合い曰く「スケジュール感は、週刊の紙媒体ならどこも同じ」でした。
断言できますが、月刊>週刊>日刊と、仕事は締め切りの単位が小さくなればなるほど、死闘のような現場となります。
そのため、校了(制作物が印刷所にまわること)の時間が近づくと、社内は髪の毛を振り乱してクライアントと連絡を取り合ったりする、鬼気迫るディレクターたちで溢れます。
まさに、修羅場。
そして、校了が終わると全員が屍のようにデスクで放心し、その後ストレス発散のため夜の街に繰り出すのです。
この綱渡りスケジュールが永遠に続くため、同僚は私含め、ストレスによる散財人間ばかりでした。
きつい現場を20代で経験したことに後悔はない
こう書くとただのやばい労働環境ですが、私は忙しい現場で働けたことは本当に幸運だったと思っています。
東京都心で働くということは、業界の最前線にいられるということです。
あれほどのスピード感で、あれほど質の良い仕事ができるチャンスは、私の地元の田舎や地方都市だとまずありえません。
つまり、体力のある若いうちにスキルをつけるには、最高の環境なんですよね。
ディレクションの勘どころ、決断スピード、トラブル処理能力、ミス回避の手法。
20代の頃に最高スピードを出した経験は、今では個人事業をするうえで、間違いなく私の基礎体力となっています。
そのため、私としてはこの労働環境自体を後悔しているとか、恨んでいるということはありません。
ただ、私が個人的にきついと思ったのが、冒頭で触れた「組織で誰にも守ってもらえない孤独感」でした。
評価という名の搾取
現場で20代後半にさしかかった頃、私はいわば「なんでも屋」みたいな状態でした。
文句もいわず感情的にもならず、淡々と事態を収束させる中堅社員は、当たり前ですが使い勝手がいいと思われます。
そのため、難易度の高い案件や過労で潰れた人の業務を、ぽいぽい放り込まれた時期がありました。
じぶん、ゴミ箱なのかな?と錯覚したよね。
特に会社が人員削減で大変な時期は、
- みんな大変だからなんとかお願い
- 君は部のエースだから
みたいな謎の理論で、ストレス耐性の高い人・安定的な仕事をする人から搾取されてしまうんですよね。
そして、過労に過労が重なると「そんなのおかしい」と声を上げる時間すら惜しくなり、ひとりで抱えるようになります。
負の思考ループに突入
こういう時には、多少強引でも必ず誰かがフォローに入るべきです。
逆にそれができなければ、組織に管理職が存在する意味はありません。
しかし、私の場合は直属の上司もキャパフルという構造になり、私はその上司の仕事すら巻き取らねばまわらない状態となりました。
私が今倒れたら、現場が終わる。
実際にはそんなことはないのですが、過労の当事者になったことがある方なら、共感いただけるのではないでしょうか?
過労の特徴は、どんどん視野が狭くなること。
過労の特徴のひとつ、「諦め」
蓋を開けると、私は周囲のメンバーの制作物の5倍量を、ひとりでこなしていました。
平日の労働時間は16時間を超えるのがあたりまえ、もちろん土日もひとりだけ出社でした。
キャパフル上司含め、周囲はその異常な状況に気づいていながらも、なんと見てみぬふりをしました。
その上司もこの状況を収束させるスキルがなく、どうしていいのかわからなかったようでした。
私はというと、これはおかしいと声を上げたのは最初の数回だけ。
何度か上司に訴えても状況が全く変わらなかったので、もう何を言ってもさらに無駄な時間を過ごすだけだと、声をあげる気力すら失っていたのです。
私が組織に決定的に違和感をもった瞬間
事態が急変したのは、偉い人が介入した時でした。
ある時、役員の方が土日にいつも出社する私を見かけ、心配して声をかけてくれたことで私の抱える深刻な案件数が発覚したのです。
すぐに部長、課長まで話が降りて、私の異常なボリュームの案件が、他のメンバーに再分配されることになりました。
できるんかーい!
私はこの役員の方に今でも感謝していると同時に、組織というものに強い不信感を持ちました。
当時もがいていた私には目もくれなかったのに、偉い人が登場した瞬間に状況が一変したのです。
これは組織という枠組みの中で働く私にとっては、心から悲しい出来事でした。
組織への不信感が個人事業への芽となった
もし役員の方の目に留まらなかったら、私は声をあげても誰にも助けてもらえず、ただの使い捨ての駒として、体も心も壊していたと思います。
私の中のこの組織に対する不信感は、数年経ったのちに
組織で働くより、個人で働いたほうが幸せに違いない
という思いに変わりました。
その後:個人事業主、最強
その後の私は組織を離れ、個人事業主になりました。
今改めて思うことは、
個人事業主、最強
ということです。
今の私は誰にも不信感を持たず、不満もなく、とにかく自由に好きなことだけしています。
こんなにストレスのない世界があるとは!
私は、もし今組織のなかで苦しんでいる方がいたら、こんな働き方もあるよと伝えたくて、このブログを発信しています。
あなたの人生の選択肢はいくつもあります。
ふとひと息ついた時に、どんな選択肢があるか想像してみてくださいね。
まとめ
以上、私の「組織で誰にも守ってもらえない孤独を感じた過労時代」の話でした。
セクハラ・パワハラ・過労に関し、たまに「戦えばいい」という声を聞きますが、本当に人が追い詰められる時は、自ら声をあげるという発想がなくなるほど消耗します。
だからこそ、私は時には強引に介入することも必要と学び、自分が管理職になってからはそれを実践しました。
つまり、もしあなたの職場がそこまでしてくれない場であれば、やっぱりそれは搾取されていることと同じなんですよ。
もしあなたに今の環境で違和感があれば、それが次の未来に繋がる芽となります。
不本意な環境から脱する選択肢もあることを、どうか忘れないでください。応援しています。
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