こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
最近、私がSNSを眺めていて思うこと。それは、
- 何か大きなことを成し遂げないといけない
- 何者か(他人から見た成功者)になりたい
という強迫観念に覆われている方が、やはりどの時代にもいるんだなぁということ。
今回は、「壮大な夢もいいけど、日常を面白がる方がよほど幸せになれる。」という私の持論についてお伝えします。
人材採用の面接官だったときのこと
私がいた会社では、新卒採用の一次面接に、中堅社員が面接官として駆り出されることがありました。
私が面接官として、彼ら学生さんから、とにかくよく聞いた言葉があります。
世の中を変えたい。○○との架け橋になりたい。
私はもうこの言葉が出た瞬間に、正直内心ではスン…と冷めていました。
本音かもしれないけど、壮大すぎてうさんくさい。
それよりは、「遠い未来はわからないけど、まずは御社の○○分野を経験したい!」とワクワクした顔で具体的な未来を1つ言われた方が、よほどリアリティがあります。
ただ、全体的な母数から言うと、「世の中変えたい架け橋組」が8割くらいでした。
そして、このぼんやりとした「何かよくわからないけど、壮大なことを成し遂げたい」みたいな人って、SNSや同い年の友人にもけっこういるんですよね。
他人からの称賛を追求しても、幸せにはなれない
すんごく厳しいことを言いますね。
自分の叶えたいことで、ぼんやりしたことしか言えない時は、
「他人から見た成功」つまり称賛がほしい
という場合がほとんどです。
もちろん、遠くにある夢から、どんどんスモールステップに落とし込むという方法もあります。
ただ、壮大の夢や耳ざわりのいい言葉をいって気持ちよくなっているだけでは、何も叶いません。
私は20代の頃にそういう、夢ばかり語り行動しない集団を眺めて「自分は何か一つでいいから具体的に叶えよう」と決めました。
その時の話はこちら。
何を成し遂げなくても、息をしているだけで価値がある
遠い夢を語って楽しくなっているならまだいいのですが、私がもっと心配なのは、
強迫観念にまでなってしまっている人。
どちらかというと、真面目な人生を歩んできた方に多い気がします。
何かを成し遂げないと自分に価値がないと思い込んでいるので(多分そういった、自己肯定感を削る教育を受けてきた)、人生に進行している何かがないと焦ってしまうのだそうです。
そんな友人に私が必ず言うのは、
何も成し遂げなくても、あなたは息をしているだけで価値がある
ということです。
いつも心からそう思っている。
私から見ると、その思い詰める感じも含めて、その人の個性まるごと魅力的ですからね。
ただ、本人が渦中にいる限りこの言葉も届かないので、私は本人の中で点と点が繋がるまでそっと寄り添うのみです。
解像度の低い夢より、日常を面白がる方が幸福度高い
このブログに遊びにきてくださったあなたに、私が強く言いたいのは、
解像度の低い遠くの夢より、日常を面白がる方がよほど幸せになれる
ということ。
ちょっと長くなっちゃったので、次回に続きます!
まとめ
以上、「壮大な夢もいいけど、日常を面白がる方がよほど幸せになれる。」という私の持論についてお伝えしました。
- 日常を面白がるって実際どういうこと?
- どうしたらそうなれる?
については、次回に続きます。
【関連】私の幸福のひとつは、友人と楽しく2時間過ごすことです。