こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
先日マイクロアグレッションに関する記事で、自分の発信する姿勢について
誰かを追い詰めることになるのであれば、自分は沈黙を選ぶ
と綴りました。
そうして改めてSNSを眺めると、ここ数年、
沈黙という手段を持たない人が、増えたような?
とちょっと思います。
今回は、「提案・アドバイスより、沈黙・寄り添う。静かな強さを身につけようね。」についてお伝えします。
「発言=アドバイス」という場面が多い気がする
私がここ数年、なんとなく違和感をもっている風潮があります。
それは、発言=アドバイスという図式。
誰もが最短で答えを求めているし、SNSなどはわかりやすい意見・アドバイスが目立つ仕組みです。
なので、やはり多くの方は白黒つけた回答をするし、なかには極論も目にする機会が増えました。
All or Nothingみたいな議論が多くない?
何より「誰かに何かを提案する」という場面が、ここ数年は非常に多い気がします。
要は、悩んでいる人に対して「◯◯したらどう?」という自分なりのアドバイスをするという場面ですね。
これの何が悪かというと、善意からの発言であること。
つまり、「良かれと思って」の行為という点です。
「寄り添う」という選択をとってほしい
私はなるべくそういう、自分の正義を押しつけるアドバイスは、しないようにしています。
相手に求められたら回答することもあるけど、少なくとも聞かれてもいないのにアドバイスするのは、まあ、端的に大きなお世話ですよね。
さらに、自分のフィールドに相手の悩みを持ち込んで、勝手にわかったような気になってアドバイスするというのは、さらに相手を傷つける可能性もあります。
しかし、SNSに限らずリアル世界でも、その手の不幸な光景をいまだによく遭遇するのです。
なぜ、人はこういう間違いをし続けるのかな?と考えてみたのですが。
「沈黙」という選択肢を知らないだけなのかな?
というのが、私の推測です。
「沈黙」という選択もあることを知ってほしい
旧ジャニーズの性加害問題で、業界やメディアが地獄のような雰囲気になっている時がありました。
その時に、誰かは忘れてしまったのですが、ジャニーズのタレントさんが、
自分たちには、沈黙という選択肢があることを知ってほしい
とおっしゃっていました。
私はこの発言が、本当に素晴らしいなと思ったんですよね。
沈黙は、静かな強さなのだ
今は、とにかく発信を是とする時代。
常に意見を持つことが正義、と思い込んでいる人もいるかもしれません。
それどころか、相手にも「関係者ならば、何か表明すべき」と、何の疑問ももたずに思っている人もいそうです。
そのなかで、「何も言わない」という選択があることを提示されて、救われた人も多いんじゃないかな。
言いたくないことは言わなくていいし、沈黙することで加害者側になることも防げる。
私は、何も発信しないことは、時に静かな強さだと思っています。
私ももし誰かを追い詰める可能性があるならば、たとえ自分が叩かれる側だとしても、常に沈黙を選びたい。
そのうえで、そっと人の痛みに寄り添うという選択があることを、今の時代だからこそ大切にしたいなと思っています。
まとめ
以上、「提案・アドバイスより、沈黙・寄り添う。静かな強さを身につけようね。」についてお伝えしました。
また小難しいことをつらつら書いてしまった…。
ちょっと意味がわからん!と思われた方、ごめんなさい。
会社員で管理職だった時代、ざっと組織を見渡した時にも、同じ問題がありました。
- すぐに答えを見つけて、誰かに意見したくなる有能な子
- 静かに人の成長を見守れる、寄り添う強さのある子
前者は多くいましたが、後者の方が断然貴重人材でしたよ。
そのため、私は「沈黙する」「相手にそっと寄り添う」という強さは、現代でも貴重な力だと思っています。
あなたにはこの、沈黙する強さ・そっと寄り添う強さはありますか?
もし少ないと感じるようであれば、ほんの少し意識してみてくださいね。
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