こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
これを言うと敵をつくるかもしれませんが…、私はこの現象がちょっと苦手です。
自己肯定感が低い人ほど、無理にポジティブでいようとする現象
今回は、「ポジティブよりニュートラル、あるがままを受け入れよう。」についてお伝えします。
ポジティブ思考を連呼する人たち
過去の記事で、スピリチュアル課金にハマった、元後輩の子の話をしました。
彼女はまさにその典型で、自己肯定感が低いがゆえに「ポジティブ!」を連呼していました。
たとえば、こんな感じ。
- 口角を上げていないと、幸せ逃げちゃうよ!
- 嫌なことが起きても、考えようによっては幸せなこと!
- 失敗してむしろよかった。ポジティブに考えよ!
私はこの洗脳のようなポジティブの刷り込みは、むしろ逆効果なんじゃないかと思うのですが、どうなんですかね?
ポジティブになればいいってもんじゃない
SNSでも、このような発信がここ数年多くなってきたと感じます。
もちろん、SNSではちょっとした気づきを与えるものなので、誰かがなるほど!と思い、暮らしに取り入れるという状態は、私もすばらしいと思います。
うーん、ここらへんのバランス感を説明するの、難しいな。
ただ、妄信的に「ポジティブポジティブ!何でも良い方に考えよう!」というのも、私は新興宗教や占い師にハマっている人と、同じ空気を感じてしまうんですよね。
同じ空気というのは、わかりやすくいうと、にじみでる不幸の空気です。
周りはその空気を無意識に感じるので、「なんかこの人面倒だな」「なんか怖いな」という感じで距離をとられることも多くなります。(私が見ている限りですが。)
では、謎のポジティブ教に入信しないためには、どうしたらいいのでしょう?
ニュートラルに戻す訓練をしてみよう
私がポジティブになるより重要視しているのは、ニュートラルでいること。
要は、あるがままの自分を受け入れるという作業ですね。
こう書くと胡散臭いのですが、自分の負を無視するよりは、ずっと健康的だと思っています。
自分の中にある負を「無かったことにする」人は、その代償をどこかで支払わねばなりませんからね。
そのため、負の感情を悪にするのではなく、ニュートラルに受け入れる訓練が必要なのです。
私からすると、性格が悪い人も個性があって面白いし、ポジティブ強硬派よりとことん落ち込んでいる人の方が見ていて信用できる気がします。
具体的な訓練方法「俯瞰する」
では、ニュートラルでいるために、具体的にどうすればいいのでしょうか?
負の感情はもう一人の自分が俯瞰して見る、という癖をつけましょう。
つまり、「ああ自分は今、何かにモヤモヤしているんだな。何かってなんだろう?」と、もう一人の自分が離れたところから観察し、言語化するのです。
私の場合は、それを解決しようとせず、まずはただ受け入れます。
負の思考や負の感情は、なんとかしなければならないものではなく、ただそこにあるものなのです。
重要なのは、どんな自分も、自分の一部として観察する訓練ですよ。
ニュートラルでいると、あらゆることを受け入れやすくなる
自己肯定感を無理に上げようとしなくていい。
ただそこにある感情を、ないものとせず実感してください。
そのうち、負の点が解決できる線に変化したり、そうでなくとも、なんとなく自分を愛しく思える存在になったりします。
自分の内面をニュートラルに保つと、あらゆることを受け入れやすくなり、面白いことに目がいくようになりますよ。
私はたいした人間性もないのですが、おそらくニュートラルでいるというこの一点だけで、面白い出来事や面白い人たちと繋がれています。
他人から見ても自然体だと警戒されず、良いご縁にも恵まれるようになりますよ♪
まとめ
以上、「ポジティブよりニュートラル、あるがままを受け入れよう。」についてお伝えしました。
もしかしたら自己啓発系の本などでも、似たようなこと(もしくは真逆なこと)が書いてあるかもしれませんね。
これはあくまで、私が独自でやっているというだけの方法なので、意味わからん!という方がいたらすみません。
ただ、自分の内部をニュートラルに保つことは、個人的に私がとても大切にしていることです。
もしポジティブ人格になろうと努力されている方がいたら、この「ニュートラルでいる」という視点も取り入れてみてほしいなと思います。
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