こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
母から「台湾からHさんが遊びにきているよ。」と連絡がきました。
Hさんとは、30年前に我が家にホームステイしていた台湾人のお姉さんです。
彼女はそろそろ還暦のはずですが、私にとっては永遠に憧れのお姉さん。
今回は、「子どもの頃から憧れ!自由に好きなことをし続ける、お姉さんの話。」についてお伝えします。
ホストファミリーをしていた我が家
我が家は、海外からの若者を受け入れるホストファミリーをしていました。
これは欧米によくあるホストファミリービジネスではなく、母独自の完全なボランティアだったと思います。
おそらく、ホストファミリーをしていた理由は、こんな感じ。
- 母は好奇心旺盛
- 母が英語の勉強をしたかった
- 日本文化を勉強したい海外の若者を応援したい
- 父が遠洋漁業の漁師だったため、部屋が常に余っていた
- 外国人のいない超田舎なので、子ども(私たち)の異文化交流にもなる
そのため、うちには常に誰かが滞在している状態でした。
常に異文化と接する世界があった
海外からの若者がいない時は、母が道ばたで見つけた旅人やお坊さんが滞在していることも。
今振り返るとけっこう危ない気もするのですが、母は私以上に自分の直感を信じている人だったようです。
私たち子どもが危ない目に遭ったり、嫌な思いをしたことは一度もありません。
それどころか、彼らの存在は、田舎に住む私たちの世界がぐんと広がる玄関口だったんですね。
そして、なかでも小学生の私が心から憧れたのが、台湾人のお姉さん・Hさんだったのです。
Hさんは30年経っても素敵な人だった
Hさんは、とても明るく、日本語が堪能で、博識なアラサー女性でした。
どうやら世界中を旅しているようで、スパイに間違えられて拘束されたりしたこともあったそうです。
私はインディジョーンズ(という映画、ご存知でしょうか?)に夢中な小学生だったので、彼女の冒険譚を聞いては、心から憧れました。
それからも我が家との交流は続き、自由に旅をするHさんの絵葉書を受け取っては、
弟子にしてほしい!一緒に世界を旅させてほしい!
と真剣にお手紙を書きました。(毎度、大人になったらね!というお返事でした。)
今なお、自由に生きているお姉さんが憧れ
その後の彼女は、台湾の大学教授となり、つい先日定年退職をしたそうです。
そして、日本で2週間のバイク旅(!)をしているそうで、昨日から我が家にも滞在しているとのこと。
母が写真を送ってくれたのですが、30年前と全く変わらない外見。
自由が溢れるような満面の笑みで、とても健康そうでした。
写真だけでも、彼女があの頃から何も変わらず、いまだ自由に幸せそうに生きているのが一瞬でわかり、ちょっとほろっときてしまった。
このブログではサイドFIREという言葉で表現していますが、私が理想とするのは、まさに彼女のような自由で健やかな生き方なんですよね。
私の憧れのお姉さんが、今も自由に好きなことをして生きているとわかり、やはり私も同じ道を進もうと改めて思ったのでした。
まとめ
以上、「子どもの頃から憧れ!自由に好きなことをし続ける、お姉さんの話。」についてお伝えしました。
しかし、還暦になっても異国でバイク旅をしようと思えるのが、ほんとすごいなあ。
健康がいちばんだと、つくづく思いました。
あと、子どもの頃は全く知りませんでしたが、台湾は平和ボケしている日本と違って大変なことも多いんだろうな。
次にHさんと会った時は、そういう政治面での彼女の考えも聞いてみたいと思います。
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