こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
昨今のSNSを眺めていて、思うこと。
- データをもとに、これが真実だと主張する人が多い
- データがあれば、これが真実だと信じる人が多い
もちろん、これだけ玉石混交の情報が飛び交う時代なので、客観的データは超重要です。
ただその一方で、データを最重要視する現代の流れには、少なくとも私にはけっこうな違和感があるんですよね。
今回は、「データありきの時代だからこそ、自分の目でリアルを見よう。」についてお伝えします。

データは絶対ではない
私は前職では、広告をつくる仕事でした。
そこでは、マスデータを使いながら、広告ターゲットを絞っていく工程があります。
マーケティング部が優秀だったので、おばかな私もデータの読み解き方を学ぶことができました。
ここでの重要な工程は、データの海とアイデアの森を行き来することでした。
優秀なクリエイターほど自分のアイデアだけを頼りにしないし、データだけに依存することもありません。

データとアイデア、どちらかだけでは良いものは生まれない。
データも見つつ、自分の目で現場を見にいき、自分の足を使ってターゲットを知りにいく。
ポンコツだった私が、自分の事業を始める前にひたすら街ゆく人を眺めるという行動に出たのは、こういった先輩たちの背中を見ていたからです。
データだけによる議論にはのらないと決めている
しかしながら、今は超情報化社会なので、データだけで議論されることが主流となりました。
そんななかで、私が違和感を感じることが、日々かなりあります。
どういうことかというと、
データの上では正しく見えるけど、なにかがズレてるんだよな…
みたいな感覚です。うまく説明できないのですが。
そのため、この違和感は私のなかだけにとどめ、誰かと議論したり、短絡的な発信はしないようにしています。
重要なのは、自分のなかですぐに答えを出さず、この違和感を違和感のままにしておくことなんですね。

広告をつくるときも、ここを見逃すと、たいていズレたものになる。
データだけに頼ると、どうしても偏った思考で断定してしまう可能性があるので、こういうバランス感覚が重要なのではないかなと思います。
特に、私のような素人が一部のデータを元にして、「これが真実だ」と主張することは、とても危ういと思っています。
データを読み解くにはスキルがいる
データアナリストという専門職がいるのは、データの背景から読み解く正しいスキルが必要だから。
素人の私も、前職ではマーケティングに強い先輩から、これらの点でよく怒られました。
- どの機構が何のために収集したデータか
- 自分の主張に都合のよい切り出し方をしていないか
特に2は罪深くて、データとは、見方によっていくらでも都合よく解釈できるものです。
そのため私は、職場で先輩たちが口を揃えて言っていたことを、今でも大切にしています。
データは役に立つけれど、データが全てではない。
実際に、私はデータなどでなんとなく知っていたことと、自分が体感したことには、いつも大きな差があります。
データ・自分の目で見ることはセットで考えたい
私が大切にしていることは、データだけで断定しないということです。

じぶんなりに推論はするけど、断定はしない。この違いが重要。
いまでは古い考えかもしれないけど、私は大局を把握できるデータ以上に、
自分で見て感じた小さな現場感
の方に、価値があると思っているんですよね。
「データはないけど、直感でこうしたほうがいい気がする。」ということについても、自らの行動によって気ままに試していきたいと思います♪
まとめ
以上、「データありきの時代だからこそ、自分の目でリアルを見よう。」についてお伝えしました。
ちょっと抽象的な内容でしたね。なんのこっちゃという方、申し訳ありません。
刑事の勘とか、女の勘とか、あなたは信じますか?
私は人生の岐路では、常に勘によって生き延びてきた感覚があるので、今後もこの手の勘は研ぎ澄ませていたい!
そのためには、データだけに依存しないというのも、案外大事なんじゃないかなと思います。
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