こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
ささやかな日常のなかで、動物大好きな私が幸せだなあとしみじみ思う瞬間がこちら。
いつも私がお風呂に入ると、分離不安症のもふもふ犬が心配そうにやってきます。
もふ犬は元保護犬で、今でも人間不信ツンデレなので、話しかけても目を逸らします。
それなのに、こうして私がお風呂から上がるのを、ひたすら待っているんですよ。
最初にこの光景を見た時、保護犬預かりボランティアだった私はちょっと泣きました。
それだけ?と思われるかもしれませんが、こういったささやかな瞬間が、私には毎度心が震えるほどの絶対的な幸せなんですよね。
今回は、「私が絶対幸福感に気づいた瞬間」についてお伝えします。
あなたにとっての「絶対幸福」とは何か?ぜひ想像しながら読んでみてくださいね。
絶対幸福とは
私は絶対幸福という言葉を昔からよく使っているのですが、調べても出てこなかったので、どうやら自分の脳内にあっただけの造語のようです。
私は幸せを感じるには、2種類の視点があると思っています。
- 相対的幸福→他人の価値観の中で感じる幸せ
- 絶対的幸福→自分の価値観の中で感じる幸せ
人生を幸福にするには、価値観を他人軸にしない「絶対的幸福」が強い!と私は思っています。
私の絶対幸福を思い出した瞬間
20代の頃は欲しい物が多すぎて、全部手に入れようとした結果、なかなか破天荒な暮らしとなってしまいました。
具体的に欲しかったものは、高年収だったり、ブランドバッグだったり、刺激的な人との出会いだったり。
私にとってはその時代も愛しいものではありますが、途中で「本当に欲しいものってこれだったっけ?」という違和感を覚えたんですよね。
高収入も他人からみたら幸せだから自分も嬉しいと錯覚しているけど、実は自分自身が欲しいものでもないな、と思いました。
つまり、今思えば、他人の価値観のなかで幸せを感じているのでは?という違和感でした。
いつのまにか相対的幸福ばかりになっていた。
ひとり旅で突然思い出した絶対幸福
その違和感を抱えたまま旅をしていた30代半ばで、私はある日突然「これだ!」という絶対幸福を見つけました。
この話はこちらにまとめています。
そこで私が見つけた絶対幸福は、この3つでした。
- 大好きな動物の仕事
- 動物との暮らし
- 余白のある暮らし
動物が好きという原点に戻れた瞬間。
絶対幸福とは、誰と比べずともそこにある幸せ
今思えば、絶対幸福とは自分の中にすでに存在するものでした。
ただ、忙殺される日常を過ごすうちに、そういうシンプルな幸福感ってどんどん削られてしまうんですね。
私の場合、会社を辞めて初めて、これらことを思い出すことができました。
- 愛犬は私が帰宅するたび、こんなに嬉しそうな表情をしていたんだな。
- 毎日ふらりと散歩できるって、自分にとって最大の幸せだったな。
- 公園の芝生で寝転びながら読書するって、そういえば昔から好きなことだったな。
これは誰の価値観でもない、自分だけが確実に感じる幸福です。
結論:自分だけの絶対幸福を思い出そう
私はこの感覚を取り戻してから、人生から謎の焦燥感があっさり消えました。
そうなると人生はこれ以上ないほど美しくシンプルで、さらに大きなお金も必要ないということがわかります。
人生に迷った時は、相対幸福を捨て「自分だけの絶対幸福」を選択するだけでよいのです。
たとえば、私は「一生動物と暮らしたい」と思っています。
そのために、個人資産1800万円を目標に資産形成をしています。
相対的に幸福とされる家・車の購入などは、私には絶対幸福の範囲にないため、現時点では選択することはありません。
逆に動物と暮らせる賃貸がないなら、その時は迷わず家を買うよ。
あなたにとって、絶対幸福(人にどう思われようとも自分が幸せに感じること)はなんですか?
かつての私のようになんだかモヤモヤしている方がいたら、改めて世界を眺め、自分の心を観察してみてくださいね。
今後の人生で、自分だけの絶対幸福感にどれだけ気づけるか、これが重要ですよ。応援しています。
まとめ
以上、「私が絶対幸福感に気づいた瞬間」についての話でした。
ちょっと抽象的な話でしたかね?自分の幸せの尺度について、説明するのが難しい…。
私は誰に何と言われても動物が大好きなので、老後は動物と暮らせる介護施設に入りたいなーと思っています。
そんなにうまくいくかわかりませんが、こういうのって想像してみるだけでワクワクしますよね♪
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