デマを信じる人の特徴は?不安定な時代に増える人たち。

ブログについて

こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。

とあるブログサイトで、ランダムに出てきた記事をたまたま読んだ時のこと。

なんだか怖い…!という印象のブログがありました。

なぜ自分はそう感じるのか?とじっくり読んでみたところ、どうやらその要因は、

不確定であるはずの情報への断言の多さ

でした。

今回は、不安定な時期には、陰謀論者や悲観論者が増える?という私の推論をご紹介します。

ブログは自由な言論の場だけど

もちろん、ブログとは自由な場所なので、法に触れることなく、人を傷つける言葉でなければ、個人が何を発信しても自由です。

そのため、その方の発信も自由であるという前提で、私が違和感を持ったことを記載します。

その方の記事での主張は、主に以下でした。

  • 戦争の影響で、今後食糧の奪い合いが始まる
  • 備蓄をしない家庭から生き残れなくなる
  • メディアは真実を伝えない。国は頼れない
  • 皆さんに真実を伝えているのは自分だけ

上記の内容が正しいかどうかは置いておいて、私が違和感を持ったのは、その断言口調です。

「仕事も厳しくなりますよ。」「もはや誰も助けてくれません。」などと、まるで未来を見てきたかのように、悲観的な先行きを断定していくのです。

言いたいことはわかるけども。

私はこの強い断定口調はどこかで見たことがある…と思いながら読んでいたのですが、ふと「ああそうか、陰謀論者の雰囲気と同じなんだ」と気づきました。

世界が不安定な時に増える陰謀論者

私の感覚では、社会情勢が不安定になった時に、こういう雰囲気の方が増える印象です。

たとえば、コロナ禍では

  • ワクチンは国の陰謀
  • とある俳優さんが亡くなったのは、撮影現場でのいじめが原因に違いない

最近では、

  • トルコの地震自体が壮大なデマだ

という投稿もSNSで見ました。

私は上記が正しいかどうかというよりも、個人では真偽がわからないはずのことを断言し、本気で信じている人の思考の流れが気になります。

このことについて長らく不思議に思っていたのですが、とある精神学者さんの本を読んだ時に、なんとなく謎が解けました。

人は不安定に弱い生きもの

本のタイトルを忘れてしまったのですが(すみません)、その中で

世界が不安定だったり、強いストレスに晒された時は、ペシミスト(悲観論者)や陰謀論者が増える傾向にある

ということが書いてありました。

熱心に陰謀論を唱えるのは人の本能の問題、つまり個人の心を守ろうとする自然行動なのだそうです。

たとえば、コロナのような、早急に解決策がない病気が世界に蔓延した時。

多くの人は、自分が飲み込めない事態について、恐怖を感じます。これは私も含め皆さん同じですよね。

その中でも一定数の人は、その恐怖に耐えられないのだそうです。

理解できない恐怖に耐えられないから、陰謀にすり替える

コロナ禍でも、私の友達が「恐怖に耐えられない人」に攻撃されたエピソードを話してくれました。

それまで懇意にしていた飲み屋の店長(元々は温和な方)が突然の強硬派となり、友人は

「ワクチンを打つならもう敵だから、店には来るな」

「国に騙されていると、これだけ教えてやっているのに」

などと言われたそうです。

もちろんその店長の真意はわかりませんが、もしかすると彼も先行きが見えない恐怖から逃れるために、無意識に自分が理解しやすい要因(=誰かの陰謀)に変換したのかもしれません。

一度信じたら、それを補強する情報がどんどん手に入るしね。

陰謀論は、そうすることで自分を安心させるという、いわば自然な脳の仕組み

だから、データでいくら違うと証明されたとしても、それすら陰謀だと本気で断言するし、本気で信じるんですね。

結論:陰謀論より情報選別のスキルを上げよう

私もけっこう思い込みが激しいことを自覚しているので、だからこそ自分の意見を他人に押し付けたり、このブログでも断言口調で発信しないように気をつけています。

特に投資に関しては一切責任がもてないので、「今後下がります」「今買いましょう」などの断言はしないように気をつけています。

未来は誰にもわからないからね。

そして何より、自分は陰謀論や悲観論とは距離を置きたい

どんな状況でも、情報を鵜呑みにすることはしたくありませんし、無駄に悲観的な思考にはなりたくありません。

世界がどんなに不安定になっても、その合間をぬって、しなやかに平穏に生きていきたいなと思っています。

まとめ

以上、不安定な時期には陰謀論者や悲観論者が増える?、という私の推論をご紹介しました。

そういえば、過去に友人が奥さんに突然逃げられ、精神的におかしくなってしまったことがあるのですが、その後、なかなかトリッキーで有名な新興宗教の信者になっていました。

神の存在を信じることで、この世での論理なき理不尽さから自我を守るのだと言っていましたが、それも彼の心を守る方法だったのかもしれませんね。

心が弱った時こそ何かにすがってしまうものですが、もし皆さんにそういうことがあれば、まず身近な人や国のヘルプラインを頼ってみてくださいね。それでは♪

【関連】上記のおかしくなった友人の話はこちら。

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