こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
先日、ふだんの母の食事風景の画像がLINEで送られてきたんですが…。
まじかよ!と思うくらい、丁寧な暮らしをしていました。
彼女は現在75歳をすぎていますが、20年以上前に乳ガンを患ってからというもの、本格的な菜食主義者となり、オーガニックな食材にこだわっています。
それが影響しているのかはわかりませんが、現在はガンも寛解し、元気に暮らしています。
今回は、そんな母を見て「自分の人生は自分で選択したい」と思ったエピソードをご紹介します。
母の人生の転機は、病気だった
多くの方がそうであるように、母は50歳をすぎて乳ガンになってから、人生が変わりました。
彼女の心の中は彼女にしかわかりませんが、当時はかなり情緒不安定となり目が離せないということから、私も移住するつもりだったロンドンから急遽帰国せざるを得ない状況でした。
ステージ4に限りなく近いステージ3と診断され、ガンは乳房切除後、リンパ節に転移しました。
ここで驚いたのは、母が断固として抗がん剤治療を受けなかったことです。
自分で治療法を決めた母
母は何やら自分で膨大な書物を読み漁り、「自分はこの方法で治したい」と決めたものがあったようでした。
当時の医師に紹介状をもらって、その分野の権威であるお医者様に自ら会い行き、そのまま再入院しました。
私は専門家ではないので、彼女のこの一連の判断が正しいものなのか、当時は全くわかりませんでした。
行動力がありすぎて、おかしくなっちゃったのかな?と思った。
ただ、治療法は本人が選択するべきと思ったため、何も言いませんでした。
どんな未来だとしても、自分の判断ならば本望だろうと思ったんですよね。
結果、運良く治療法が合っていたようで、2回目の手術後に再発もなく寛解しました。
自分の人生を自分で選択した母
何度も言いますが、私は専門家ではありませんし、どんな治療法がどんな人に合っているかは全くわかりません。
ただ、ここで私が母を尊敬したのは、極限の状態にあっても
自分の人生を自分で選択した
という点でした。
結果、運良くガンは寛解し、それを機に彼女は食生活を改め、菜食主義者となりました。
この時点で、彼女はまた自分の人生を自分で選択したわけです。
体にいい食材を摂りたいということで、その後は自分の畑をつくってオーガニック野菜を育てています。
これは、彼女が生き延びると決めて、具体的に行動した結果でした。
私は無限にある治療法の中で自分で選択し(しかも抗がん剤に頼らないという、少数派の選択)、その後も自分で最良と思う行動をとるって、けっこうすごいことだと思うんですよね。
結論:私も自分の人生は自分で決めたい
この経験を経て、私は彼女から受け取った大きな学びが2つあります。
ひとつは、正しいか間違っているかは誰にもわからないからこそ、
私も自分の人生は自分で決めたい
ということ。
そして、学んだことのふたつめは、何かを選択した人に対して、
家族や友人がすべきことは、応援することのみ
ということでした。
自分で判断する・応援する、というのは静かな強さ
特に命がかかっている病気に関しては、親身になるからこそあれこれ当事者に口をだす人がいますが、やっぱりそれは時に暴力になると思うんですよね。
たとえ家族であっても「よかれと思って」という建前の裏にあるのは、部外者の押し付けであるという事実を自覚しなければなりません。
- 自分が当事者ならば、自分で判断する強さを持つ。
- 自分が身近な人ならば、その人が判断したことを全力で応援する。
難しいことかもしれませんが、私も常にこういった静かな強さをもちたいと思っています。
自分の未来を自分で選択し、結果がどうであれそれを受け入れて生きていく。
母から受け取った人生美学を、私も引き継ぎたいと思います。
まとめ
以上、母を見て「自分の人生は自分で選択したい」と思ったエピソードをご紹介しました。
どんなにお金があっても、どんなに気をつけていても、理不尽にやってくるのが病気。
私は、人生は長さじゃないと思っています。
もし自分が病気になったら、その影に隠れて生活するのではなく、やりたいことを日々やって、あー楽しかった!と、短くとも幸せに幕を閉じられたらと思います。
【関連】よろしければこちらもどうぞ。