こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
SNSを眺めていて、個人的に気になる投稿がありました。
自分への戒めとして記事にしますが、あなたにも、
意図せず誰かを攻撃していないか?想像力を持っているか?
を考えるきっかけとなればいいなと思います。
今回は、「マイクロアグレッションを回避するためには?」についてお伝えします。
発信は個人の自由!が大前提
大前提として、発信内容は個人の自由です。
そのため、私も個人攻撃にならぬようXからのシェアは控えますし、この方の思考を否定するわけではありません。
簡単にまとめると、こういう内容でした。
結婚してよい女か判断する方法は、親との関係を聞くこと。親と良好な関係を築けているならOK。最悪、親から虐待を受けてる場合があるし、そうなると子も何かしら歪む。親に愛されて育った人の方が良い。
あなたは、これを読んで、違和感なく「ふむ、一理あるな」と思いましたか?
その場合は、ちょっと立ち止まってみていただきたいです。
私がこの記事であなたに伝えたいのは、
マイクロアグレッションの存在と、その危険性
についてです。
マイクロアグレッションとは
マイクロアグレッションは、日本語では「小さな攻撃性」となります。
人と関わるとき、相手を差別したり、傷つけたりする意図はないのに、相手の心にちょっとした影をおとすような言動や行動をしてしまうことです。
マイクロアグレッションが、なぜ人を傷つけるのでしょう?
それは、その言葉や行動には、
- 人種
- 文化背景
- 性別|ジェンダー
- 障がい
- 価値観
など、自分と異なる人に対する無意識の偏見や無理解、差別心が含まれているから。
自分の考えを述べるまでに、想像するのは大事
この方は誰かを攻撃しているわけではないし、ただ自分の考えを述べているだけです。
結婚してよい女か判断する方法は、親との関係を聞くこと。親と良好な関係を築けているならOK。最悪、親から虐待を受けてる場合があるし、そうなると子も何かしら歪む。親に愛されて育った人の方が良い。
ここで重要なのは、
「当事者が、この内容を目にする」まで想像した上での発信なのか?
ということなのです。
今回ならば、親から虐待を受けた人や、親との関係が良好ではない人だね。
自分が当事者だったら?を想像してみた
もし親からの虐待といったサバイバルを経て、幸せな結婚を望む方が、
「虐待された子は歪むので、親に愛されて育った人が良い。」
と断言されたとしましょう。
もしこれが自分だったと考えると、めちゃくちゃ傷つくと思います。(いいね!の多さにも傷つくかも。)
なぜなら、虐待があった事実は、自分には変えられないことだから。
同じように、身体的特徴や人種、性的マイノリティなど「自分で変えられないこと」に対するマイクロアグレッションは、この世にまだまだ多いんですよ。
偉そうに言ってるけど、自分もどこかで無意識にやっていると思う。
自分がマイクロアグレッションをしていないか?
マイクロアグレッションの基準に、正解はありません。
そして、もちろんSNSやブログでは、明らかな差別発言でない限り、発言は自由。
誰かが傷つくならその人がミュートすればよいだけなので、何度も言いますが、私はこの方を批判しているわけではありませんよ。(私の考えとは異なりますが。)
ただ、この投稿を眺めて、自分にマイクロアグレッションの感度があるか?を振り返ることはできるかなと思いました。
マイクロアグレッションを回避するためには?
私は全方位に気を遣うのも嫌なのですが、自分と異なる人に対する無意識の偏見や無理解、差別心で誰かが傷つく状況は、なるべく少なくしたいと思っています。
では、どうすればそうなれるのか?
考えてみたところ、私の場合はこちらですかね。
積極的に異なる価値基準と出会い、本を読み、知識と想像力を持ち続けること
正解はないよ。あなたはどう思う?
また、もし自分がマイクロアグレッションを感じた時には、軽やかに受け流す心を持ちたいと思います。
まとめ
以上、「マイクロアグレッションを回避するためには?」についてお伝えしました。
私の結論は、積極的に異なる価値基準と出会い、本を読み、知識と想像力を持ち続けることでした。
今回は「自分が誰かを攻撃していないか?」という視点で綴りましたが、あまり気にしすぎると何も発信できなくなってしまうので、何事もバランスなのかもしれません。
ただ、あなたが考えるきっかけになればいいな、と思います。
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