こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
FIREの定義に紛糾する「FIRE論争」の存在は知っていましたが、
ミニマリストの定義に紛糾する「ミニマリスト論争」
なんてのもあるんですね。
こちらのツイートがかなりバズっていて、みなさん自分が思う「ミニマリストとはこれだ」で盛り上がっている様子でした。
面白いな〜!
私の感想としては、いつも通り「自分が心地よければそれでいい」に帰結してしまうので、論争に参加することもできないのですが…。
他者の定義について必死に批判する方もいたりして、なぜそんなに熱くなるのかな?と心から不思議に思いました。
今回は、無駄な思考を手放す人も、ある意味ミニマリスト!という話です。
きっと目にするのも嫌なんでしょう
端的に言うと、冒頭のツイート投稿者は「貧乏くさいミニマリスト」が我慢ならん!ということですね。
自分が大切にしている世界をないがしろにされている、もっと強い言葉で言うと「汚されている」という気がするのかな、なんて想像しています。(全然違うかもしれないけど。)
その場合、その手の投稿を目にするだけで嫌すぎる、ということなのかもしれませんね。
それはそれでわかる気がする。
もしくは!
単なるツイート戦略としてあえて排他的にしているのかな、とも思います。
SNSならではの排他的な鋭さ
「貧乏からのミニマリストってさあ、違うくない?」
「ただの極貧節約生活みたいな人ばかりで嫌すぎる」
という切り口、なかなか攻めてますね。
これはこの方の意見だから、もちろん賛成も否定もない。
私含めたいていは、他者を批判せずに「私が目指すのはここ」とまとめる人が多いと思うのですが、
SNSの特性上、これくらい排他的な鋭さを出さないと拡散されない
のだろう、とも感じました。
そういうことも含め、SNSっていろんな人がいろんな投稿の仕方をしていて面白いなあ、と改めて思います。
ただ、この「貧乏くさくて嫌」と言われる中に、もし自分のサムネを発見したらやっぱりちょっと悲しいかも…。
ということで、あくまで私の場合はですが、今後も攻めた投稿はしないでおこうと思いました。
鋭さからは無縁の博愛主義者です。
結論:思考をミニマルにしよう
最後に、私がSNSで大切にしていることです。
- 自分と違う価値観を否定しない
- 自分が正しいと思い込まない
- 向き合うのはいつも自分自身
SNSを眺めて色々な価値観に触れつつ、私がミニマルにするのは実は自分の思考です。
他人の価値観にパワーを使うよりも、自分自身と向き合った方が省エネで暮らせます。
結局のところ、自分が幸せだと思う方向に、ただ突き進めばいいんですよね。
あなたが、もし他者に「我慢ならん!」と思いそうになったら、その熱量を自分の未来づくりに向けましょう。
自分の幸せを阻む思考こそ、無駄以外の何者でもありません。
そんな無駄思考を捨てられる人も、私はミニマリストだと思っています♪
無駄な思考を捨てて、ミニマルに生きよう。
まとめ
以上、「無駄な思考も手放す人も、ある意味ミニマリスト!」という私の考えをお伝えしました。
ところで、冒頭のツイート投稿者さんの大切にする「上質なものを厳選したミニマルな暮らし」、私も大いに憧れています。
ただし!まさに夫がそうなのですが、上質なものを厳選するにはやはりセンスが必要なんですよね…。
今朝の夫はシンプルな無地Tシャツ姿だったのですが、よく見るとハイブランドをさらっと着ていました。
それがまたシュッとした体型に似合うし、ちゃんと手入れされているのがわかるし、まさに「厳選している」という感じで、嫌味がない!
こういう目利きのあるミニマリストになってみたいものですが、センス皆無の私には無理だろうなぁ。
ミニマルかつハイセンスの民になりたい。
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