【自己肯定感の育て方】中学校の恩師の、ちょっと変わった教育の話。

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こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。

あなたには、恩師と呼べる人はいますか?

私が幸運だと思うのは、子どもの頃に大人に恵まれてきたこと。

後に続く人へ種を渡そうとする大人たちに、育ててもらったことです。

ふと秋の風でぼーっとしていた時に、中学校時代の素敵な先生を思い出して、ふふふとなりました。

今回は、「自己肯定感の育て方。中学校の恩師の、ちょっと変わった教育の話。」についてお伝えします。

恩師は、定年間近の国語教師

あいかわらず、AIのつくる黒板がやばい

中学時代、国語を担当していた白髪のおじいさん先生がいました。

スラムダンクの安西先生に似ていた。

先生は、お腹から声をだす舞台役者のような人で、どことなく迫力のある先生でした。

授業以外で個人的な会話をしたことはないし、なんとなく私生活が見えないような、中2の私には不思議な存在。

それでも、私は彼を恩師だと(勝手に)思っています。

その理由は、彼の授業内容が、40代の今でも自分のなかに大切に残っているから。

個性的な授業をする先生

今思えば、彼の授業や課題は、少々変わっていました。

たとえば、あるとき先生は、クラス全員に「平家物語」の冒頭部分を暗誦(あんしょう)させました。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。

「平家物語」より

一人一人が、これを覚えたら先生の前まで行き、暗誦したら合格、という流れです。

その時は、おそらくクラス全員が、

おじいちゃん先生、また古くさいことを…。これ何のために?

と思っていたことでしょう。もちろん私も。

ですが、あれから30年経って、私は今でもこの一説を口ずさむことができます。

そして、不思議なことに、これが年々体に染み込んでいく感覚があるんですよね。

先生は、心に刻むべき一節だとわかっていた

意味のないことはしない先生なので、今思えば、先生には私の今の状態が見えていたのでしょう。

たしかに、これは心に刻む価値のある、素晴らしい一節でした。

原文
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。


現代語訳
祇園精舎の鐘の音には、この世のすべてのものは移り変わっていくという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、栄えたものも必ず衰えるという道理を示している。
思い上がった人も長くは続かず、まるで春の夜の夢のように儚い。
どんなに強い者でも、最後には滅びてしまい、風の前の塵のように消えていくのだ。

「平家物語」より

なんと美しい文章なのでしょう。

さらに、当時は全くわからなかったけど、経験を重ねて、この真理が自分の人生を深くしてくれています。

  • この世のすべては移ろい、永遠には続かない
  • どんなに栄えたものでも、必ず衰えていく

この渋い一節を中学生の身に染み込ませよう、と思った先生にもしびれます。

このように生徒の人生に寄り添うものを残せたならば、国語教師の勝利だと思いました。

試験の出題内容も、今しっかり残っている

彼の国語の定期試験の出題内容も、ちょっと変わっていました。

いつも最後に、このような自由解答欄があったのです。

その後、この主人公はどう生きていくと思いますか?300字以内で答えなさい。

もちろん、明確な答えなどないので、全て正解となります。

私はこの出題が、心から楽しみでした。

芥川龍之介の短編小説『羅生門』

たとえば、芥川龍之介の短編小説『羅生門』をご存知でしょうか?

「このまま飢え死にするか、悪事を働いて生きるか」と葛藤していた主人公が、とある老婆と出会うことで悪事を働く側に転じる、という話です。

先生は、「この主人公はその後どう生きていくか?」というテスト問題をだしました。

この物語の趣旨ではなく、主人公のその先の人生を想像してみよ、という答えのない問いです。

私は、このように書きました。

この主人公は、ときに悪事も仕方がないと自分を納得させたり、ときに罪に悩まされたりしながら、しかし何も変わることなく一生を終えると思う。

国語の例文回答とはかけ離れた、特に希望のない回答でしたが、私はそう思ったのです。

その時の自己肯定感が、今も残っている

テスト用紙が返ってきた時、私の回答の横にいつもの丸がついており、先生の達筆な字でこう添えられていました。

「私もそう思います。」

中学生の私は、なぜかこの一文が心から嬉しく思いました。

先生と同じ感想ということが嬉しかったのではなく、自分の感想を当たり前に受け入れてもらえたことが嬉しかったんですね。

自由に感想を持っていいんだ。もっともらしいことではなく、自分が感じたことが正解なのだ。

これが、自分が物語を好きと思う源となりました。

自分も、後に続く人に種を渡しておきたい

先生とは、授業以外での交流があったわけではありません。

ですが、私の心に今でも恩師として残っています。

先生が私の中に残してくださった種が、こうして自分の中で育ち続けていることって、私はとても尊いことだと思うんですよね。

私が若い人に相談されたり、このブログを書く時には、いつもこの時の感覚を思い出しています。

芽吹くかどうかはわからないけど、後に続く人に種を渡しておきたい。

私がこのブログであなたに渡せるものがあるかわかりませんが、自分が持っている種は全て蒔いていきたいと思います。

何か一つでも受け取ってもらえたら嬉しいな。

まとめ

以上、「自己肯定感の育て方。中学校の恩師の、ちょっと変わった教育の話。」についてお伝えしました。

私の結論は、こちらでした。

  • 正解のない問いが、子どもの私の自己肯定感を育ててくれた。
  • 当時は意味がわからなくても、大人になって芽吹く教えがある。
  • 自分も誰かに、何らかの気づきの種を渡せたらうれしい。

ところで、私が大人になった時、その国語の先生はとうに定年退職していました。

私のことを覚えているかもわかりませんが、「あの時の授業が、今でも残っている。」と感謝を伝えるため、ある時に届くかわからない葉書を送ってみました。

すると、やっぱり超達筆な字で返信があり、「もちろんあなたのことは覚えているし、教師にとって最も喜ばしい言葉である。」というようなことが書かれていました。

葉書から、あの快活な声が聞こえてきた。

感謝の気持ちは、何年経っていたとしても、思い立った時が伝えどきですね。

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