こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
前回の続き記事です。前編はこちら。
今回は、「壮大な夢もいいけど、日常を面白がる方がよほど幸せになれる。」という私の持論についてお伝えします。
解像度の低い夢より、日常の幸せを楽しむ感受性が大事
私が、このブログに遊びにきてくださったあなたに強く言いたいのは、
解像度の低い遠くの夢より、日常を面白がる方がよほど幸せになれる
ということ。
私など、毎日愛犬を撫でまわし、ゲームをして、ちょっと仕事して、晩酌するだけの日々ですよ。
それだけにもかかわらず、寝りにつく前は「あー今日もあれやこれが楽しかったなあ。」となります。
ただのおめでたいやつ、といえばそれまでだけど…。
今日の私のおもしろハイライトは、猫さんのジャンプ
たとえば今日だったら、仕事で猫さんのお世話をしている時。
私が猫トイレを片付けながら、ついクシャミをしたら、その子が背後でピョーン!とジャンプしたのです。
猫さんのびっくり仰天顔を思い出すだけで、今もふふふ、となります。
たったそれだけのことなんですが、私には毎日をちょっと幸せにする瞬間なんですね。
こういう瞬間って、誰にでも日常にあるはず。
ただ、日常を面白がるのって、ほんの少し視野が狭まると全く見えなくなるので、私は受け取る力が必要と思っています。
これが、巷でいわれる感受性というやつですね。
では、どうしたらその感受性が養われるのでしょう?
日常を楽しむ感受性を獲得する方法
「そうは言っても、自分はクリエイティブでもないし…。」という方でも大丈夫!
日常の幸せを楽しむ感受性を手にいれるため、必要なことはこれだけです。
- 睡眠をたっぷりとること
- 時間にゆとりもつこと
- 他人の目を気にしないと決めること
もし時間がない、心に余裕がない、と自覚する方は、まずは「やらなければいけないけど、やりたくないこと」を捨てましょう。
自動家電を導入したり、断捨離して管理する物を減らすのもよいですね。
私の場合は、たとえば4着のオーバーオールで制服化して、暮らしから選択することをなくしています。
そして、心に余裕を持ったところで、
「他人の目を気にしないという訓練をしてみよう。自分は自分の人生を生きるんだ。」
と決めましょう。
そうすると、不思議と今までスルーしていた面白い事柄が、少しずつ視界に入ってきますよ。
私の感受性ライフ0だった時代
偉そうに言っていますが、私の会社員時代の後半は、実は上記の余裕が全てまるっとありませんでした。
世界に色がついていなかったし、感情が揺れることも、何かを面白いと思う余裕もない日常。
周りは気づかなかったけど、たぶん壊れる寸前だった。
本来の自分の核ともいえる感受性がどんどん失われていったとき、私は
このままでは自分という人格が消える
という心からの恐怖を感じました。
結果、ギリギリのところで会社員を辞めて、一人旅にでました。
つまり、あらゆる自分を取り巻く世界から、逃げ出したんですね。
日常を面白がる感受性を育てよう
私はこの時の決断を、今でも心から正しかったと思っています。
感受性は一度壊滅的に失っても取り戻せるのだ、と知りました。
それらの一連の回復作業のおかげで生き延びたし、今の人生がさらに豊かなものになったと思います。
もし自分の人生に焦ることがあれば、あなたもぜひ日常の幸せを楽しむ感受性を育ててみてくださいね。
何歳からでも遅いことはありませんよ。
人生は、自分で心地よいものに変えていけます。
まとめ
以上、「壮大な夢もいいけど、日常を面白がる方がよほど幸せになれる。」という私の持論についてお伝えしました。
日常を面白がるには、感受性が必要。その方法は、この3つという結論でした。
- 睡眠をたっぷりとること
- 時間にゆとりもつこと
- 他人の目を気にしないと決めること
他人の目が気になる方も、心のなかで「本当はどうしたい?」と訓練してみてくださいね。
自分の人生は自分のもの、ですからね!応援しています♪
【関連】私が会社から逃亡し、一人旅に出たときの話はこちら。