こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
SNSでは戦う文化があるので、白熱した議論もよく流れてきます。
私はそれをプロレスだと思って眺めているのですが、たまに本気で噛みついているんか?という場面も見るんですよね。
そういう方々を眺めて、ずっと不思議に思っていることがありました。
- なぜ、こんなに言い負かしたいんだろう?
- なぜ、こんなに反論したいんだろう?
私はその主張内容よりも、そこまで熱量高くいられる背景について、思いを馳せています。
今回は、「まわりとの価値観の違いで、幸福度を下げない方法。」についてお伝えします。

皆、自分が正しいと思っている
全ての議論が白熱する根源は、ここにあります。
みなさん、自分が正しいと思っているんですね。
たまに見るAbemaの討論番組でも同じで、双方の意図が微妙にズレたまま議論が進むこともしばしば。

ただ、この手の配信はエンタメとして、その戦いが成立しています。
あえてさまざまな意見を戦わせることで、視聴者に気づきを与えるエンタメコンテンツなのでしょう。
戦っても無駄だから、戦わない
一方、友人との会話やSNSは、そういう性質のものではありません。
さらに、SNSでは短い文章でのやりとりとなるので、討論番組以上に噛み合わなくて当然。
質の悪い議論は無駄なので、私が反論を受けた時には、自分の意見関係なく逃げちゃいます。

リアル世界でもSNSでも同じく、楽しいことだけしていたい。
私がよく使う回答はこちら
そういう場面で、私がよく使っている回答はこちらです。
- なるほど、勉強になります。(賞賛)
- なるほど、◯◯さんは◯◯と思われているのですね。(反復)
これは、決して相手を軽んじているというわけではありません。
相手の思う正しさを尊重しつつ、自分はその議論のステージには乗らないというだけです。
私のなかで正しいと思うことがあっても、それは私のもの。
一方で、SNSでは熱く議論したい方たちも多く、私はその背景に純粋に興味があります。
声高に主張したい背景とは?
違う価値観を流せない。徹底的に反論しないと気がすまない。って、けっこう強い感情ですよね。
その熱量は、いったいどこからくるのか?
そこに何かがあるんじゃないかなと考えてみたのですが、結論の一つがこちらでした。
自分がこだわる事柄では、自分がまわりに正しいと思わせないと、自分の幸福度が下がる。
自分が正しいと声高に言いたい時こそ、私は立ち止まる
自分がいちばん正しい。自分がいちばん幸せ。
これを自分のなかで思うだけならいいのですが、周りに認めさせようと思った時点で、幸福度は確実に下がります。
それでもそうしたくなる時って、やっぱり何らかの要因で本人の心が満たされていない時なんじゃないかな?
むかし会社にいた、人を論破する快感に魅せられていた先輩も、全く幸せそうに見えなかったしなぁ。
- 自分が正しいと声高に言いたくなる時
- 誰かを言い負かすことが快感となった時
私もこんな時は、必ず一度立ち止まろう。改めてそう思いました。
まとめ
以上、「まわりとの価値観の違いで、幸福度を下げない方法。」についてお伝えしました。
私の幸福度を下げない方法は、こちらでした。
- 自分が正しい!と声高に言いたくなる時は、いったん冷静になる。
- 自分の論理が正しいと周囲に認めさせたい時は、自分の心が満たされていない時かも。
もちろんこれもあくまで私だけの考えなので、みなさんが違うと思ったら違います。
まずは自分を大切にし、自分のなかの正しさを大切にしましょうね。
【関連】よろしければこちらもどうぞ。