こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
アーティストの星野源さんが、新しいアルバムを出したようです。
YouTubeでいくつか聴いてみたら、「Star」という曲が気に入りました。
ねえねえ、この曲聴いた?MVのグラフィックデザイン、すごい好みなんだけど。
と、いつものように友人にLINEしようとして、ふと手が止まりました。
あ、そうか。奴はもういないんだっけ。
いつも連絡を取り合っていた友人は、半年前にふわりとこの世界を旅立ったのでした。
そこから数日、ものすごく大きな、でもなんとも形容しがたい感情とともに過ごしました。
寂しい?悲しい?孤独?喪失?
言葉にしてみると、すべてがなにか違う。
この歳になっても、言語化できない初めての感情ってあるんだな、と思いました。
今回は、「言語化できない感情こそ、深い場所で自分の一部になる。」についてお伝えします。
言語化できない感情とは
10代の頃から、何度となく繰り返し読んでいる小説が何冊かあります。
村上春樹氏の「ノルウェイの森」も、そのひとつ。

大切な人たちを亡くした主人公の、喪失と再生の物語です。
19歳の頃から何度となく読んできたというのに、最近になって初めて鮮やかに理解したことがいくつかありました。
たまにこういう不思議なことがあるから、上質な小説は繰り返し読む価値がありますね。
人生は、こういう繊細な感情たちでできている
この物語の主人公と同じく、私も友人がいなくなったことで、静かな孤独を感じることがあります。
でも、それは一色で塗ったようなシンプルな感情ではなく、多面的で温かい感情でもあるんですよね。
私は、こういう静かに震える自分の感情を、心から愛しく思っています。
なぜなら、これは人との繋がりからでしか生まれない、複雑で繊細な感情だからです。
この感情が何にもつながらなくても、何処にも行きつかなくてもいい。
大切な人から何かをしっかりと受け取った感覚があり、それがいつか自分の血肉になる予感がある。
私にはそれが、奇跡なようなことだと思っています。
この感情は、いつか自分の一部になる
あなたは、自分でうまく言語化できない感情に出会ったことがありますか?
たとえば、自分でもなぜかわからないけれど、心が揺れる瞬間。
私の場合は、毎回それらをただそっと包み、時間をかけて自分のなかに沈ませています。
観察も分析もせず、そこにあるものを、そのまま自分のなかの泉に放り込む感覚です。
すると、いつかそれが自分の一部になり、見える世界がまた一段階深く美しいものになるのです。
そのため、私はうまく言語化できない感情に出会ったら、丁寧に拾いあつめ、自分の内側に仕舞うことにしています。
誰とも共有できない感情ほど、価値がある
なんでもシェアできる時代ですが、私は
誰とも共有できない感情ほど、価値がある
と思っています。
本当に大切なことは、誰にも何も伝えなくていい。
自分だけの感情を楽しんで、ただ毎日を面白がって生きていたいな。
星野源さんの曲を聴きながら、まさにそんなふうに生きた友人のことを思い出したのでした。
まとめ
以上、「言語化できない感情こそ、深い場所で自分の一部になる。」についてお伝えしました。
私の結論は、こちらでした。
- 言語化できない感情は、時間をかけて自分のなかに沈ませている
- いつかそれが自分の一部になり、見える世界が一段階深く美しいものになる
このブログを読んでくださる方々から、友人を悼む一連の記事について、たくさんの感想や共感をいただきました。
生きるって時々とてもしんどくて、とても孤独ですよね。
いま喪失を抱える方に、もし何らかの形で寄り添えるなら、私も心から嬉しく思います。
今回も個人的な話となり申し訳ありませんが、読んでくださりありがとうございました。
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