こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
岸田さんが首相を続投しないそうです。次はどなたになるかな?
そういえば、今年は都知事選も盛り上がっていましたよね。(東京の方限定の話ですみません。)
今回の都知事選は、私は完全に消去法で投票しました。
これだけ候補者がいたのに、消去法って…。
政治は人それぞれ考え方が違うので、誰がどうとか、私がここで語ることはありません。
ただ、ちょっと全体的に思うことがあったので、綴ってみます。
今回は、「反権威は耳障りがいいからこそ、自分の目で本質を見極めたい。」についてお伝えします。
選挙で、会社員時代の残念な人たちを思い出した
今回の都知事選挙で、全体的に私が感じたことは、「今の政治はだめ。自分が変える!」というだけの論調が多いなあと。
私はその先の、「どんなふうに?あなたは具体的に、何をしてくれるの?」という内容が知りたかったのですが、ほぼ全員がその手前の「現在の政治批判」に、かなりの時間を割いていたような…。
裏金問題もあったし、その方が盛り上がるんだろうな。
私の会社員時代も、この手の「反権威」に熱くなっている人たちがいました。
私は、彼らにも、彼らに賛同する人たちにも、危うさを感じることが多くありましたよ。
反権威の自分に酔っている人たちとは?
反権威の論調って耳障りが良いので、話し方によっては、その人が改革者に見えがち。
私は、だからこそ、本質的な部分を見逃さないようにしています。
たとえば会社では、「デキない上層部に物申す!変わってほしい!」という、反権威な人たちがいました。
主に、自分の仕事のやり方に自信を持ち始める、30歳前後の女性に多かったかな。(注:私の主観です。)
会社での反権威な人たち
もちろん、主張の内容が正しいからこそ、彼らも声高に主張します。
そして、周りも同じ不満があるため、共感・賛同しやすい。
ただ、私は人材マネジメントをする側だったので、この手の主張をするメンバーたちを2つに分けて考えていました。
- 反権威の思考を持ち、その先を具体的に考えている人
- 反権威の思考を持ち、そんな自分に酔っているだけの人
1、その先を具体的に考えている人の場合
1、の場合は、そろそろその人自身が、リーダーやらマネージャーやらに挑戦する時期です。
自分の思い描く未来を具体的に考え、責任を覚悟し、変化への実行力もある場合ですね。
ただし、そうではない場合(2の場合)は危ない状態なので、時間をかけてそのことを自覚してもらいましたよ。
2、そんな自分に酔っているだけの人の場合
反権威の論調って、現在に反対するだけでもっともらしく聞こえるという特徴があります。
具体的な改革案をそれほど持たなくても、いつのまにか、批判=改革のように錯覚してしまうのです。
要は、批判すること自体が目的になってしまっている。
さらに、たいてい同じように不満を持つ周りの人から応援されるので、自分はデキる人間だと勘違いしてしまうんですよね。
ただ、実際にその先の未来を、その人が良くできるかというと、そうでもなかったりします。
私が重要視するのは、本質的な部分のみ
選挙でもこれと同じ人が多くいたように見えたので(少なくとも私には)、改めて、私はシンプルにこちらを重要視しました。
- どんなマニフェストがあるのか
- そのマニフェストを実行しきれる人物か
すると、消去法になってしまった…。悲。
選挙にかぎらず、耳障りの良い言葉・わかりやすい論調の時こそ、私は自分の目で本質を見極めたいなと思っています。
まとめ
以上、「反権威は耳障りがいいからこそ、自分の目で本質を見極めたい。」についてお伝えしました。
今回の反権威については、私が思春期の時に十二国記という小説で学びました。(ちょいネタバレあります!)
この中に、現在の政治批判をし、民から信頼される斡由(あつゆ)という人がいました。
批判の論調は耳障りがいいし、人当たりもよいので、最初は「斡由が王になるべきでは?」と思うのですのが、話が進むにつれ、読み手の違和感が大きくなるのです。
そして、ここが重要なのですが、この小説のなかでその違和感に最初から気づいているのは、
常に本質的な面を見ようとする人たち
だけでした。
この小説を読んだ時、私も本質的な面を常に見ようとする側でいたいな、と思った記憶があります。
10代女子に、こう思わせる小説ってすごくないですか?
十二国記シリーズ、大人になって読んでもめちゃくちゃ面白いので、未読の方はぜひ。
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