こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
夫との週末の食事中に、「日本に暮らす移民への分断思考が、加速しているね。」という話題となりました。

アメリカに似てきたなぁ。
そこでの会話の結論は、
人間とは、基本的に排他的かつ愚かな生きものなのだ。
と、身も蓋もない話になってしまった気がします。
でもなるべく、私はそこに抗っていきたいな。
今回は、「差別心・恐怖心のあることほど、自分の目で見に行こう。」についてお伝えします。
知らないことだから怖い。怖いことだから攻撃する

改めて、私は人間とは、基本的に排他的かつ、愚かな生きものだと思っています。(もちろん自分も含め。)
私が、現代で特に強く感じる特徴は、こちらです。
知らないことだから怖い。怖いことだから攻撃する。
多様性を謳う一方、あらゆるマイノリティに対し、多くの人が恐れを感じているんですね。
私は子どもの頃から、そういう盲目の恐怖を抱え、排他的になることが嫌でした。

漫画で魔女狩りの話を読んだとき、村人たちが心底怖かったから…。
そこで、無知からくる恐怖を排除しようと思い、なるべく新しいことに触れるようにしてきました。
ここで重要なのは、「怖い」と思った気持ちを、きちんと受け入れること。
特別支援学校に見学に行かせてもらった
たとえば、子どもの頃の私には、知的障がいをもつ知り合いがいませんでした。
だからかわかりませんが、街中で奇声をあげる同年代の子を初めて見た時に、怖いと思ってしまったことがあったんですね。
そこで先生に相談し、特別支援学校に見学に行かせてもらうことにしました。
実際に自分の目で見て触れたことで、彼らへの恐怖はあっさり消え、かわりに心優しい友達が増えました。
彼らには、私と違う部分もあったし、同じ部分もあったし、それまで知らなかった美しい部分もありました。
なあんだ、知らないから怖いと思ったんだ。
知らないことは、自分で見て触れて接したらいいんだ。
これが、以降の私の行動の原点となりました。
無知を克服するのに有効なのは、自ら体験すること
無知を克服するのに一番手取り早いのは、自ら体験すること。
それを知ってからは、たとえばこのような場所に手紙を書いてお願いしては、あちこち出かけていきました。
- 近くにある朝鮮学校を見学させてもらいたい
- 特別養護老人ホームで、介護体験をさせてもらいたい
- 日本在住外国人に、異国の文化を教えてもらいたい
このような経験によって、私は事前の情報収集で得た知識の何倍も、実体験に価値があることを知りました。
想像と実体験には、こんなに大きな乖離があるのだ
と思ったんですね。
結論:情報社会だからこそ、自分の目で見にいこう
もう一度言います。
知らないことだから怖い。怖いことだから攻撃する。
何かに排他的な感覚になった時は、情報を漁ることだけに集中すると、かなり偏った目線になります。
どうか、自分の目で見にいってください。自分の手で触れてみてください。
それが難しいときは、せめて自分の受け取る情報が不安定であることを自覚し、何かを断定・誰かを断罪することを避けましょう。
私自身もあらゆる偏見をもっていることを自覚し、差別する側にならぬよう努力したいと思っています。
まとめ
以上、「差別心・恐怖心のあることほど、自分の目で見に行こう。」についてお伝えしました。
私の結論は、こちらでした。
- 知らないことは、怖くて当然。
- 想像と実体験には、大きな乖離がある。
- 自分の目で見た体験は、SNS・メディア情報を超える。
それにしても、子どもの頃に出会った先生方には、心から感謝しています。
もし、私が障がいを持つ子を怖いと思ってしまった時に、「そんなことを言ってはいけない。」と蓋をされていたら。
今は、偏見にまみれている自覚なく、狭い視野の大人になっていたと思います。
自分の目で見て、自分の手で触れること。
今はさらなる情報社会だからこそ、私もなるべく実体験を促す大人でありたいなと思います。
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