こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
私の好きな小説家・村上春樹氏の造語で、「小確幸」というものがあります。
それは「小さいけれど確かな幸せ」という意味。
今回は、私の日常の中の小確幸について、ご紹介します。
小さいけれど確かな幸せ
いやあ、春になりました!
東京は満開の桜が散り、本日26度ともはや初夏の陽気です。
私はペットシッターとして活動しているので、この季節が最も幸せなんですよね。
動物たちの顔もイキイキしているし、草も風も花も全てが美しい。
仕事で公園を移動するだけで、自然からパワーをもらっています。
オーバーオール(いわば私の制服)の下に着るニットも、先週からTシャツになりました。
空気が澄んだ冬の散歩も嫌いではないけれど、私にとっては「春になったこと」は、大きな幸せです。何より、
仕事終わりのお酒の味が、一段階美味しくなること。
これが私の小確幸です。
労働のあとのお酒がうまい!
私は昔ほどは飲まなくなりましたが、それでもひとりで家で晩酌することが幸せな時間です。
だから痩せないんだね。
秋冬は、ワイン1-2杯、春夏はビールもしくはレモンサワー1缶です。(一応、家ではそれ以上は飲まないようにしています。)
今日は暑かったので、今年初のレモンサワーを解禁したところ、
う、うますぎる…犯罪的だ!!!
と無意識につぶやいていました。あーしあわせ。
労働階級ほど小確幸が多い
私の社畜時代は、こんなにお酒を美味しいと思わなかった気がします。
いえ、美味しかったはずなのですが、それは精神面の疲れからくる美味しさだったんですよね。
今は仕事のストレスも悩み事もなく、ただ健全な肉体労働の疲れから美味しく感じます。
お酒の幸福度は、断然今の方がある。
私は、自分が過去に見た景色から、労働者ほどこのような
小さいけれど確かな幸せ
があるんだなあと思った光景があります。
ロンドンのパブでの光景
私は21歳の時に、渡英してロンドンの紅茶葉専門店で働いていました。
ロンドンは、ちょっとした酒場(パブ)がたくさんあることで有名ですよね。
私はそんなガヤガヤ騒がしいパブが好きで、金曜の夜はだいたいそこで食事をしました。
肉体労働後の1パイント(=568ml)のビールと、フィッシュアンドチップスの美味しさといったら!!
貧乏だったから、私には週1回のご馳走だったよ。
最初はその味目当てで通っていたのですが、そこで私がさらに好きになったのは、
労働階級のおじさんたちが、心から幸せそうにビールを飲み干し、笑い合っている光景
でした。
小確幸を日々謳歌する労働者
彼らも仕事終わりなのでしょう。
煤だらけの作業着で、仲間たちと巨大なジョッキをごくごく飲んでは、ワッハッハ!と笑っていました。
今思えば、ハリーポッターの酒場の雰囲気に似ていた。
彼らは、階級社会である英国では、おそらく下の階級になるでしょう。英国の上流階級では、まず見ない光景かと思います。
階級社会をよく知らない私には「労働階級は上流階級に憧れているはず」みたいな思い込みがありました。
しかし、彼らの満面の笑みを見て、そんなに単純な話でもないんだなと思ったのを覚えています。
私の目には、労働階級の彼らが英国で一番幸せそうに映ったんですよね。
目の前の幸せを謳歌するということ
もうあれから20年以上が経ちますが、私はいまだに彼らのことを思い出すことがあります。
社畜時代に睡眠時間すらままならなかった時、たまにふとあの光景を思い出し、
自分は、彼らとはかけ離れた場所にいるな
と悲しく思った記憶もあります。
私の場合、収入は身の丈以上にいただいていたし、周りからも「恵まれているね」と言われる環境でした。
でも、私にはその毎日が、シンプルに不幸せだったんですよね。
ようやく小確幸を手に入れた現在
難しいことはあれこれ考えず、労働し、仕事終わりに美味しいビールを飲み、仲間と笑う。
21歳の頃、私もそういう目の前の幸せを謳歌する生き方がしたいなあ、とパブでぼんやり思っていました。
レモンサワーを楽しみながら、20年経ってようやく、
私も、あのおじさんたちみたいな小確幸を手に入れたんだな。
と少々嬉しく思います。
人生には、大きな成功やお金などなくても良いのです。
むしろ、こういう小確幸があり、それを楽しむだけの心のゆとりや、そこそこの経済力があれば、それだけで十分幸せになれます。
あなたの目の前の、小さいけれど確かな幸せは何ですか?
まとめ
以上、私の日常の中の小確幸について、ご紹介しました。
お酒の飲み過ぎには注意しなければなりませんが、歳を重ねてそんなに量も飲めなくなってきたので、まあヨシとしましょう。
アルコールは節約の敵ではありますが、私は自分の小確幸を適度に楽しみます♪
【関連】私がロンドンで貧民だった話はこちら。