こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
私はそもそもが倫理観のない人間なので、この一般社会で生きるうえでは慎重に暮らしています。
というのも、大人になってから
倫理観がない人は、倫理観の強い人から攻撃対象にされる
と知ったから。
個人的にこれがいまだにちょっと不思議なので、この件を綴ってみたいと思います。
今回は、「倫理観問題。どんな背景で、その思考になったのか?には興味津々。」についてお伝えします。
倫理観とは

倫理観とはなんぞや?を、ChatGPTさんに聞いてみました。
倫理観(りんりかん)とは、
「人として何が正しいか」「どう振る舞うべきか」に関する考え方や価値観を指します。
簡単にいうと、「それって人としてどうなの?」と考える“心のものさし”が倫理観です。
自分はこれが薄めなんだなーと、若い頃からうすうす感じていました。
倫理観の薄いわたくし
私は享楽的かつ倫理観が薄い人間のようでして、基本的にはこんな感じで生きています。
- 法で罪にならないことならば、欲求が勝つ
- 自分のなかで「美しくない」と思うことはしない
- 人の面白い部分とだけ付き合う
- 面白い部分以外で、人が何をしようと興味がない
つまり私は、犯罪者にならない範囲内で、楽しいことだけしていたいのです。
たとえば昔、不倫を繰り返していた子が、
それを知って友達でいてくれてるの、もふちゃんだけなんだよね。
と言っていたのですが、当時はその意味がよくわからなかったんですよね。
後で知ったのですが、人によっては不倫という事象自体が許せず、友達をやめるとまで判断する人もいるようです。
倫理観の強い人には慎重になる
その時はおおいに驚いたのですが、考えてみれば不倫された経験のある方で、心の傷が深い人もいらっしゃいますからね。
そういう方からしたら、「不倫している人(芸能人含む)を見聞きするのも嫌」ということなのでしょう。

自分にもこの先あるかもしれないから、他人事とは思わない。
ただ、それとは別に、この世にはそもそも倫理観の強い人がけっこういます。
- そもそも他人に迷惑をかける人が、許せない
- そもそも他人に対して、こうあるべき論がある
私が不思議だったのは、自分に実被害なくても、とにかく他人を許せないという感情でした。
目の前の人にそういう性質を感じた場合、社会不適合者の私は、いつも慎重に会話するようにしています。
性労働者を「許せない」らしい知り合い
たとえば先日は、性産業に従事する女性を、無意識に蔑んだ発言をしていた知り合い(女性)がいました。
その会話を肯定も否定もせず聞いていたのですが、なにやら彼女の根底に「許せない」みたいな感情を感じたんですよね。なぜだろう?
私は、納税しているなら風俗業は職業選択の自由だし、そもそも大変なお仕事だと想像しています。
自分を損なわず、誇りを失わずに従事されている人もいらっしゃいます。
もしくは、そこを差し出してもいいから、自分は経済的なリターンをとる、と決めた方もいます。
私には結局のところ、彼女がなぜ蔑むのか、なぜ許せないのか、最後までよくわかりませんでした。

もしかしたら、本人もよくわかっていないのかも。
倫理観あるように擬態して生きております
そんななかで、倫理観のうっすい私は、多少まわりにあわせて生きています。
自分の本音を言うと、攻撃対象に転じる可能性があるからです。

特に、バウンダリー(自分と他人の境界線)の薄い人の前では慎重になります。
ただ、彼らを眺めていて「自分の世界を自分で狭めているなあ。」と、感じることもあります。
なぜなら、倫理観フィルターを外したところにこそ、自分の世界を広げる新発見があるから。
犯罪でないなら、その人の価値観を他人がジャッジすることは無意味です。
それよりも、私はその人の
どんな生き方・背景で、その思考になったのか?
の方に興味がありますよ。
それが、人やこの世界を面白がる、ということに繋がるのではないでしょうか?
まとめ
以上、「倫理観問題。どんな背景で、その思考になったのか?には興味津々。」についてお伝えしました。
私の結論は、こちらでした。
- 倫理観の薄い人は、攻撃対象にならぬよう擬態しておいて損はない
- 倫理観フィルターを外したら、発見があり、自分の世界は広がる
そういえば、宇多田ヒカルさんの新曲で「令和何年になったらこの国で夫婦別姓OKされるんだろう」という歌詞に猛烈に怒っている方をSNSでみましたが、これも
他人のイチ意見(思考)に、なぜそこまで怒れるんだ?
と不思議に思っています。
その方にとっての許せない、何らかの一線なのかな?
【関連】ちなみに選択的夫婦別姓、私は賛成です。