こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
私はもともと高校教諭を目指していましたが、結局教員採用試験は受けないことに決めました。
最も大きな理由は、実際に行った教育実習で「この職場に40年勤めることは無理だ」と悟ったから。
今回は、職場への負の直感は何よりも大切ということについて、私の思うところを綴ります。
高校教諭になりたかった
実は私は高校生の頃に「高校教諭になりたい」と思って大学進学しました。
科目はなんでもよかったので、唯一教職でとれる「高校英語」を選択しました。
いまだ英語は苦手なので、この時点で道を誤っていたね。
なぜ教員を目指したのか?
なぜ教員を目指したかというと、私はとてつもない田舎で暮らしていたため、周囲で職業といえば、看護師、消防士、警察、自衛隊、漁師、そして教師くらいしかなかったからです。
そしてありがたいことに、私はたくさんの恩師に恵まれて育ったので、「自分もそういう先生になりたいな」と思っていました。
大学では毎週土曜に講義だったし、授業自体も厳しかったので、自分なりに真剣な気持ちだったはずです。
そして、やっとのことで迎えた教育実習で、私は「この職場は確実に向いていない」と確信し、教員になるのを辞めました。
教育実習現場
どんな職場でも、まずは飛び込んでそれに倣ってみるというのが最善の道だと思います。
そういう意味でも、教育実習は素晴らしい制度だと思います。企業にはインターンシップもありますが、ここまで丁寧に職場体験をさせてくれる企業はそうそうありません。当時の先生方には大変感謝しています。
ただ!私が高校生の時に見てきた職員室と、教員として見る職員室にはかなり乖離がありました。
先生が無駄に陰湿
まず、教育係となってくださった先生(30代男性教諭)が、かなりの陰湿指導でした。
初日にその先生に挨拶しに行くと、「どうせ学生気分の甘い気持ちできたんだろう」と鼻で笑われました。
そして、その場で私に対する粗探しが始まり、教科書の内容を全部覚えてきていないことを大声で怒られました。(当然ですが、教育実習で教科書を全て覚える必要はありません。)
指導という名の陰湿ないじめ
次に、初日の授業は後ろで見学のみと伝えられていたにもかかわらず、彼はさらなる陰湿指導を仕掛けてきました。
授業が始まると、間髪入れずに「今日は実習生が来ています!10分間で自己紹介スピーチをしてもらいましょう。さあ前に出て、どうぞ!」と英語でまくしたて、私を教壇に立たせたのです。
厳しい指導の一環と思おうとしましたが、歪んだ笑いを浮かべる彼の表情を見る限り、これがただの悪意であることは明らかでした。
私は彼の悪意には気づかないふりをして、滞りなくその場を進めました。
私の場合は運が良く、塾講師のアルバイトをしていたため教壇に立つのは慣れていたし、英語での自己紹介も勝手に準備していたので、その機会はむしろ伸び伸びやらせてもらえるチャンスでした。
生徒たちと距離が縮まって嬉しかったよ。
生徒を軽んじている教師
その場は涼しい顔でやりすごしましたが、自分に対する悪意よりも私が残念に思ったのは、その先生が生徒たちを無知で幼い集団として扱っていたことでした。
先生の意地悪に生徒が気づかないはずはありません。
生徒たちがその後こっそり教えてくれたのですが、これは毎年のことなのだそうです。過去には立往生して涙ぐむ実習生もいたとのことでした。
大人が大人をいじめる様子を、子どもたちが見る。正直、これが教育現場かと悲しくなりました。
職員室全体が理不尽
これだけなら、この先生に難ありということで、片付けていたことだったと思います。
私が決定的に教員になるのを辞めようと思ったのは、こういった陰湿さが、その職員室では当たり前だったということでした。
たとえば、お昼休みにカップラーメンに入れるお湯がほしいと言われ、若い先生が生徒に職員室のポットのお湯をあげたこと。
もちろんルールから逸れていたのであれば、注意をすることは必要です。しかし、このことが大問題になり、その日の職員会議で1時間半も話し合う事態となりました。
こわいこわいこわい!
異質な職員室会議
若い先生は「お湯をあげるのが禁止だとは知らなかった」と謝り、年配の先生が「考えたらわかることでしょう!生徒を特別扱いするということは(以下略)」みたいなことをネチネチとずっと言っていました。何度も言いますが、1時間半です。
それを止める人は誰もいません。驚いたことに、この恐ろしいほど旧体質な世界が通常のようでした。
そして、そんな光景を連日目の当たりにした私は、「教員がどんなに尊い職業だとしても、40年間自分はこの職場で働けるか?」と自分に問い、実習最終日に「絶対無理だ」と結論を出しました。
人材の循環がない恐ろしさ
私が経験したことは、たまたまあの学校特有の光景だったのだと思います。(そう信じたい…)
ただ、この時に感じた恐怖は今でも覚えています。
それは、人材の循環がないという恐ろしさ。
教員の制度を調べると、少なくとも当時は合理的な評価制度が存在しませんでした。
モンスターに育った人材がいても、企業と違って明確にマネジメントする方法がないのです。
体制を変えるのはほぼ不可能
体制や組織を変えることは、とても難しいこと。
これは私が経験した世界だけの話ではありません。アルバイト先、派遣先、転職先、ママ友グループ、全ての世界において言えることです。
もしあなたがこういう人材の循環がない世界に出会ってしまったら、全力で逃げましょう。
もちろん時には踏ん張る経験も必要だと思います。ただ、アルバイトや契約社員などとは違い、抜け出すのが難しい職場だった場合、もし後戻りできるチャンスがあるならば、自分が感じた負の直感を信じてほしい。私はそう思っています。
まとめ
以上、私が職場への負の直感に対し取った行動は「逃げる」でした。
それまで積み上げてきた教職への熱意はもったいないと思いましたが、私にとってはこの感覚は生き抜く上でとても重要です。
投資でも損切りできないと大変なことになりますよね。もし過去の労力に執着していたら、より一層不幸な結果になっていた気がします。
そして、私がここで強く言いたいのは、教員や公務員の世界が悪だと言っているわけではない!ということ。私が出会った恩師たちは素晴らしい方々でしたし、私の親族の公務員は働きやすい職場だと言っています。私がたまたま巡り合わせが悪かったのが教育実習だった、というだけかと思います。
ただ、自分が職場へ負の直感を感じたならば、引き返しても良いということをお伝えしたいと思いました。皆さんにもしそういう場面がきたら、ぼんやりでもよいのでこのことを思い出してくださいね。それでは♪