【多様性を理解する?】ただ人とゆるく繋がれたら、私は楽しく生きていけるよ。

ミニマルライフ

こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。

いつものごとく、飲んだくれながらNetflixを観る休日を過ごしています。

今日は「逃げるが恥だが役に立つ」を一気観(多分3周目)したのですが…。

オタクは全話一気に観て、うっかりスペシャル回まで完走する始末。

なんだか当時のコロナ禍の記憶が呼び起こされて、泣けました。

今回は、「多様性を理解する?人とゆるく繋がっていれば、私は楽しく生きていける。」についてお伝えします。

いまだ社会って、古風だよね

2016年ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」は、表向きは夫婦、実態は雇用関係という設定でした。

画像はNetflixからお借りしました。

当時のこの設定に関する私の感想は、

この関係性やこの価値観を、ニュートラルに受け入れる世界はまだないの?

ということでした。

まあ、いまだ選択的夫婦別姓や同性婚が認められていないということは、そういうことなのでしょう。

その後に、新垣結衣さん出演の2023年映画「正欲」も観ました。

画像はNetflixからお借りしました。

そちらでは、さらにこの感覚↓が強くなりました。

この関係性やこの価値観を、ニュートラルに受け入れる世界はまだないの?

多様性ってよく聞くけど

私が両作品から強く感じたのは、多様性・マイノリティを軸とするもの。

この2つをたて続けに観たからそう思うのか、それともここ数年の時代のテーマなのかはわかりません。

この世にはまだまだ生きづらさに苦しみ、孤独を感じている人が多いのかなあ、と思いました。

一方で、私のまわりの人たちを見る限り、

こいつらけっこう自由に生きているな

とも思うんですよね。

都会って、自由に生きる人が多く生息している気がする。

私のまわりにいる面白い人たち

私のまわりには、この多様性時代をのびのび生きている人たちも、多くいます。

たとえば、私の友人には、会うたびに性的指向が変わる人もいるし、アセクシャルもアロマンティックの人もいます。

LGBTQなどのカテゴライズもかなり細分化できる時代になったので、私も、誰がどうだっけ?と覚えられません。

なぜ私が彼らのことをよく知っているかというと、彼らがカムアウトしまくるからです。

多様性とは、ただ存在しているもの

そのため、私にとって多様性は理解するものというより、ただそこに存在しているものです。

多様性はナーバスなことでも、他人が理解しようと努力することでもありません。

ただただ、そこに存在するだけのことなんですね。

私がいろんな人からカムアウトを受けるのは、きっと私が彼らを「理解しよう」などとは思っていないからでしょう。

たまに、あの人は◯◯だから、とカテゴライズする人がいますが、人には白か黒かだけではありません。

性にはグラデーションがあるだろうし、時間軸によって志向が変わることもあるし、こちらが想像もしないぶっとんだ価値観の人もいます。

人はそもそもがカラフルなので、違うのがあたりまえなんですよね。

理解しようと努力する人たち

一方、ニュートラルにいろいろな価値観と接したことのない人には、自分の知らない世界に対して無駄に身構える人も多い。

バイセクシャルの友人が、こういうことを言っていました。

カムアウトしたところで「そうなんだね〜」だけで終わらず、なんか深刻になったり、理解しよう、傷つけないようにしようというモードになる人が多い。だから、言わない。面倒だから。

私もほんと、この通りだと思っています。

私も、面倒だから言わないことって、けっこうあるな。

孤独にならなければ、それでいい

結局のところ、人は孤独にならなければそれでいいのです。

私は夫婦であっても、お互い3割くらい考えがわかっていればいい、と思っています。

また、私は世間というものが自分の幸福度にどれだけ無関係か、よく理解しています。

これはあくまで私の場合ですが、相手が夫でも友人でも、

ただ楽しい食事の時間が2時間あれば、それで幸せ

なんですよね。

必ずしも完全に理解されなくても、ニュートラルな人たちとゆるく楽しく繋がっていればいい。

人との繋がりがある限り、孤独にならず生きていけるものですよ。

まとめ

以上、「多様性を理解する?人とゆるく繋がっていれば、私は楽しく生きていける。」についてお伝えしました。

映画を観ても思ったのですが、SNSでもリアルでもいいけど、「人と繋がる」というのはやっぱり必要なんだなと思いました。

そういえば、私にもきっといくつかマジョリティではない部分があるのですが、その一つに、

子どもを欲しいと思ったことが、人生で一度もない

というのもあります。(これをマイノリティと言っていいのかはわかりませんが。)

でも、私のまわりにいる人たちに話すと「そうなんだね〜」で終わる話だったので、当時も孤独になることはありませんでした。

こういう、静かに寄り添う人たちの強さを、自分もずっと持っていたいなと思っています。

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