米津玄師さんを見て、自分にとって大切だった人を思い出した話。

ミニマルライフ

こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。

米津玄師さんの新曲「毎日」を聴いたら、ハマってしまいました。

この曲、好き!!

で、このMVを観ているうちに、私の記憶の大切な人のことを突然思い出しました。

今回は、「米津玄師さんを見て、自分にとって大切だった人を思い出した話。」について綴ります。

(最初に断っておくと、ただの自分語りです。興味ない方は遠慮なく次の記事へ飛ばしてください!)

さいきん永遠に流れている米津氏のMV。ダンサーさんもセットもすばらしい。

元彼に激似すぎて、まじまじ見ちゃう

大昔に米津玄師さんの「LOSER」という曲を知り、当時も「なにこれ、すき!」となった記憶があります。

で、音楽はもちろんのこと、私は彼の姿勢や仕草も、まじまじ見てしまうんですよ…。

細長くて、猫背で、けだるそうで、ちょっと退廃的な佇まい。

なぜ私が目を奪われるのかというと、自分が19歳の時にお付き合いしていた男の子と激似だからです。

我々のヘンテコな関係性を思い出した

米津さんは、私の大学生の頃につきあっていた彼に、ガチでそっくりです。

最初に彼を見た時は、本人か?!と、ぎょっとしました。(もちろん違う。)

横顔とか姿勢とか歩き方とか背中とか、全体的な佇まいがハッとするほどよく似ているんですよね。

そのため、米津玄師さんのMVを観てから、当時の彼のことを鮮明に思い出しましたよ。

ただ、私は常人よりはるかに脳が退化しているので、フルネームをはじめとする彼の詳細情報はどうしても思い出せません…。

かわりに、記憶を呼び覚ますうちに、若かりし我々のぶっとんだ関係性を思い出しました。

というわけで、読者のみなさんには猛烈にどうでもいい話だと思いますが、私の記憶が薄れないうちに書き連ねます。

すぐに忘れてしまうので、記憶を残したい。切実に。

当時の自分はやべぇ奴

米津玄師さん似の彼氏くんは、私がバイトしていた塾講師の、1つ上の先輩でした。

そして、何がどうしてそうなったのか、よく覚えていないのですが。

私は恋人がいたにもかかわらず、突然キャバクラで働きはじめました。

どうやら私は当時から、ほしいものを手に入れるためなら、倫理や常識を軽々無視する性質だったようです。

周囲に止められた記憶はないけど、もし塾や彼に止められたとしても、「なぜだめなんだっけ?」という感じだったんじゃないかな。

犯罪でなければ、やりたいことは全てやっていいと思っていた。

当時の彼もやべぇ奴だった

で、さらにぶっとんでいるのはここからです。

その後、彼もなぜかホストになりました。

彼はたしか有名な国立大の学生だったのですが、今思えばなぜホストをやろうとしたのか、謎すぎます。

私が荒稼ぎしているのをみて、ちょろい世界だと思ったのかもしれません。

やってみると、奥深い世界だとわかるけどね。

とにかく我々は、若さ特有の無双感に酔いしれて、夜の世界でまあまあの恩恵を受けました。

恋人が彼でよかった

当時は、お互い自由で、お互い自分に酔っていて、お互い享楽的で、お互い荒稼ぎしていました。

今思えば風変わりな恋人同士でしたが、当時の自分達にはフィットした関係性だったと思います。

何より、彼はとても変わっていて、とても魅力的な人でした。

まず、猪突猛進な私のやること全てを「いいね。おもしろいね。」と受け入れてくれる人だったのです。

今振り返ると、そんな同年代男子って、彼以外いなかったはず。

もしあの頃の自分が、世間の常識を押し付けられたり、思考を否定されたり、ましてや束縛などされていたら。

私の心の柔らかい部分や、自由に挑戦する心は、大きく失われていたんじゃないかな。

静かな強さを、彼から学んだ

私は20代前半までちょっとした人間不信でして、おそらく世界に攻撃的になっていました。

当時は気づきませんでしたが、今は彼の持っていた美しい部分がはっきりとわかります。

彼は私に踏み込みすぎず、でも静かな強さを持って、寄り添ってくれていました。

彼のフラットな視点や、一般論に囚われない思考、人との絶妙な距離感、そして彼自身の孤独のようなものが、私の支えになっていたんですね。

20歳前後ならば、夢みがちで押し付けがましい若者が多いなか、彼は私と同じことを悟っていたと思います。

たとえばこのようなこと。

  • 人が抱える孤独は、たかが恋人では埋められない
  • この世界では誰よりタフにならなければ、生きのびられない

あの繊細で必死だった頃に、同じような感性をもった人に出会えて、私は本当に幸運だったと思います。

大切な人の記憶が、今の自分をつくった一部

当時の彼のように静かな強さをもつ人は、いまだ私の周りでは限りなく少ないです。

どちらかというと、すぐに意見したくなったり、自分の正解を声高に伝えたがったりする人が多いんじゃないかな。

私はSNSなどでその光景を見るたび、密かに残念に思っていたのですが、それはどうやら当時の彼と比べていた、ということに気づきました。

私が今、誰かに寄り添う強さが少しでもあるのなら、おそらく当時の彼から学んだのでしょう。

当時の大切の記憶が、確実に今の自分をつくった一部になっている。

私たちに共通の友人はいないし、何より私の記憶がおぼろげのため、今後彼と再会することはまずありませんが。

彼がいま幸せでいるといいな、と心から思っています。

まとめ

以上、「米津玄師さんを見て、自分にとって大切だった人を思い出した話。」について綴りました。

40歳をすぎてしみじみ、時が経つと大切だった人の美点がより鮮明になるんだな、と思います。

ただし、記憶ってほんといいかげん。

私の場合は、彼の名前も、なぜ別れたのかも、全く思い出せません。なぜだー!!

出会った人たちが今の自分をつくっている

今回綴ってみて、このことをしみじみ認識したのですが、私の場合、その大部分を忘れているのが悲しい。

みなさんには全く意味のない記事で申し訳ないのですが、自分の記録のために、たまにこうして自分語りも入れさせてください。

しょーもな!と思った記事は、どんどん飛ばしてね。

【関連】その後しばらくして、旅先で出会った青年と結婚しました。

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