こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
最近「チャイルドフリー」という言葉を耳にしました。
チャイルド・フリー(voluntary childlessness、childfree)は、子供を持たない人生の方が豊かであり、子供を作るつもりがないと考える人々のことである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
そんな言葉があるの?という感じですが、考えてみれば私のことだなとも思いました。
今回は「自分の人生は自分のもの」という、究極に当たりまえの話をご紹介します。
実は子どもがほしいと思ったことがない私
いまだになぜかはわからないのですが、私は子どもがほしいと思ったことが、今までの人生で一度もありませんでした。
ただ、夫の希望で妊活をした期間もあったため、こういう感覚を人に話すと
- 「そうは言っても本当のところは欲しかったでしょう?(疑問)」
- 「きっと強がって言ってるんだよね。うんうん、昔は私もそうだったよ(共感)」
- 「不妊治療、うまくいかなかったんだね(察し)」
みたいな反応が多かったので「この感覚って、そもそも一般的ではないんだな」と思っています。
母性は誰にでもある!と思い込まれている状況に似てるかも。
チャイルドフリーという考え方について
冒頭のチャイルドフリーという考え方については、SNSで見る限りさまざまな反応があるようです。
子どもというかけがえのない存在を、最初から不要と言い切る人生はいかがなものか。
みたいな意見もありました。
私の場合は、自分に子どもがいる未来に憧れがなかった一方で、もし子どもができていたらきっと愛情たっぷりに育てていただろうな、とも思います。
そのため、自分自身は「私はチャイルドフリーです!」と言いきるのも、なにやら違和感があります。
ただし、私がここで強く言いたいのは
チャイルドフリーという考えの人がいてもいい
ということなんです。
多様性の本当のところ
今はブームのように「多様性」という言葉が一人歩きしていますが、中身が伴っているかといえばそうでもありません。
人は自分の理解が及ばないことについては、本能的に恐怖を感じ、排他的になりがちな生きものです。
チャイルドフリーについても、SNSで「子どもがいらないと言いきる人に、共感できないことからくる恐怖を感じているんだろうな」という意見をけっこう目にしたんですよね。
もしかしたら、冒頭の友人たちもそうだったのかも?
ただ、多様性を大切にしたいならば、その恐怖を乗り越える必要があります。
たまたま自分が共感できない考えや志向があっても、尊重することが多様性につながることなんですよね。
私自身は、どんな場面でも、共感できないことを尊重する静かな強さを持つ人間いたいなと思っています。
結局のところ、自分が幸せであればそれでいい
私には子どもがいませんが、私自身は少子化問題の前で「子なしですいません」と卑屈になる必要もないし、逆に「チャイルドフリーを理解してほしい」と主張する必要もないかなと思っています。
なぜなら、自分の人生は自分のものだから。
私は国民の三大義務である「教育、勤労、納税」をし、犯罪に加担していなければ、基本的に何をして生きていてもいいと思っています。
やりたい放題して、楽しくこの世を去るぞ!
自分含めこの世のどの志向も間違っていないので、声高に何かを主張する必要はありません。
そして、他人が選んだことで他人が幸せなら、誰を攻撃する必要もないのです。
自分が幸せであれば、本当にそれだけでいい。
私はそう思って、他人の世界を侵害することなく、自分の自由な世界を守り、このまま楽しく暮らしたいと思っています。
まとめ
以上、「自分の人生は自分のもの」という、究極に当たりまえの話をご紹介しました。
いやー、もし自分に子どもができていたら、もう少しちゃんとした大人になっていたのでしょうか?
子育てされている方々には、畏敬の念しかありません。
人ひとり育てるって、本当にすごいことですもんね。
私の得意分野(?)は動物なので、この世に幸せに暮らす動物がひとりでも多く増えるよう頑張りたいと思います♪
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