こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
我が家の午前中のいつもの風景。
白い部屋なので一瞬同化してみえますが、もふもふ犬が転がっています。
もふ犬は元保護犬で、野犬のような暮らしを送っていたため、トリミングサロンでのカットができません。
恐怖で凶暴になってしまうからね。
現在は、彼女にとって恐怖のトリミングはせず、致命的な毛玉のみをカットする暮らしです。
よって、美しい毛並とは無縁なのですが、私はこのワイルドな彼女の容姿も大好き!(セサミストリートに出てくるボサボサ毛のキャラみたい。)
今回は、ほぼ全てにおいて「ありのままがまるっと愛しい」という私の基本姿勢をお伝えします。
もふもふ犬が息をしているだけでいい!
お子さんがいらっしゃる方は、この感覚に共感してもらえるのではないでしょうか?
私はもふ犬に、毎日しつこく
「息をしてくれているだけで嬉しい。何をしててもかわいい。大好き!」
と声をかけています。
本気でそう思っている。
「存在してくれるだけでありがたい」というのは、もふ犬に限った感覚ではなくて、私の好きな動物たちや夫や、友人たち、さらには自分自身にも日々思う感覚です。
それぞれ問題点ももちろんあるのですが、とにかく、そのままの状態でまるっと愛しいんですよね。
…なかなか気持ち悪いことを言ってますが、わかってもらえますかね?
これは幸せになるための思考とか、そういう感覚ではなく、多分私の元々の性質の一部だと思います。
そのため、私は勝手にこの世の全ての人がこの感覚で生きていると思っていたのですが、大人になってどうやらそうではなさそう、ということを知りました。
「もっと良い状態」を求めて不満になる夫
たとえば、夫はもふもふ犬に対し、
- 他の犬みたいに、抱っこできたらいいのに
- 他の犬と比べてトレーニング習得度が遅いのでは?
と、何かしら「他の一般的な犬」と比べて羨ましがったり、心配したりしています。(もふ犬は元保護犬のため、一般的な家庭犬より出来ないことが多い。)
私はもふもふ犬が息をしているだけで嬉しいので、実はこういった、
「もっと良い状態」を求めて不満に思う
ことが一切ありません。
もふ犬が幸せなら、じぶんも幸せ。
つまり、他者にも自分にも「ありのままがまるっと愛しい」状態になることって、とんでもなくストレスフリーなのです。
自分にもそう思っていたけれど
私は基本的に自分にも「あるがままがまるっと愛しい」と思っています。
ばかみたいに突っ走ってしまう自分も愉快だし、決して美人とは言えないたぬき顔も平和で好きです。
ただし!!!
ひとつだけ「あるがままがまるっと愛しい」から外れる瞬間があります。
それは、太ったとき。(まさに今。)
基本的に自分のことが大好きなのですが、体が重くなると、なぜか悲観的になります。
夫はシュッとしているため、少し前にも私が「小デブが隣に並ぶと滑稽だよね。クヨクヨ。」みたいなモードになり、夫に笑われていました。
ありのままの自分が好きならば、ふくふくした自分もかわいい!くらいに思いそうなものですが、きっと太ると体調が悪くなることが関係するんでしょうね。
私の場合、体が重くなると、身体の不調も増え、思考も不健康になるようです。
そのため、私には太りすぎないということさえ維持できれば、さらに人生幸せモードになるのかも?
まとめ
以上、「ありのままがまるっと愛しい」という私の基本姿勢をお伝えしました。
なんか「ありのままの自分を愛そう」みたいな、もっといい結論でまとめたかったのですが、結果「太りすぎない」という結論になってしまった…。
自己肯定感の問題って根深いので、人によっては「頭でわかってても、そんな肯定的に考えるの無理だよー!」ということもあるかと思います。
大切なのは、どんな状態なら自分が心地よく生きられるか。
それを自分で把握していることが重要ですよね。
とりあえず、私は心地よい自分に戻れるよう、ちょっとダイエットします!
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