散財女がインドの長老から学んだ、お金の話。

サイドFIRE

こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。

皆さんは、お金が好きですか?私は好きな方だと思います。

ただ、お金はただのツールだと思っているので、「お金持ちになりたい!」というような願望はなく、執着はない方かな、と思います。

そう思うようになったのは、インドで極度のお金嫌いの日本人に出会ったから。

その時の経験がけっこう強烈だったので、「偏狭さは人を不幸にする」ことについて、綴ってみたいと思います。

このエピソードを読んで、皆さんもお金に対し「欲」「嫌悪」どちらかに偏っていないかを考えてみてくださいね。

インド一人旅について

昔インドを1ヶ月かけて旅したことがあったのですが、その時に「日本人は贅沢だ」と日本人のおじさんに猛烈な批判を受けたことがありました。

この記事にも書いたのですが、私はもとバックパッカーです。

一人旅に魅せられて、お金を貯めてはボロボロのデニムと大きなバックパックで世界各地を巡っていました。

そうなると必然的に辿り着くのは、インドですよね。

当時、ちょうど女優の中谷美紀さんが「インド旅行記」という本を出版されて、そのルートをそっくりそのまま自分の目で見てみたい!と思ったのがきっかけでした。

私の旅の仕方

いつもは安宿に泊まる貧乏旅行なのですが、この時は会社を辞めて退職金が入ったので、おばかな私はインドで豪遊しました。

お金は入ったら使う!びっくりするほど散財女だね。

インドは貧富の差が激しい国なので、お金は安く済ませようと思えばいくらでも安くなるし、逆に使おうと思えばいくらでも使えます。

私は乗用車と運転手兼ボディガードを雇い、インドを横断しつつ、5つ星の宮殿ホテルを渡り歩きました。

これは中谷美紀さんの本を真似して背伸びをしたのですが、今思い出しても素晴らしい体験でした。

生きたお金の使い方だった

5つ星のサービスというものを堪能できましたし、美しい風景や建造物、そして宗教をはじめとする奥深い文化は、今でも心に深く残っています。

また、実際若い女性一人でインドを横断するのは危険極まりなかったので、散財とはいえ個人的には良いお金の使い方だったんじゃないかなと思います。

その中で、私が当時ハマっていた「ヨガ」の聖地である山奥に立ち寄った時のこと。

その私のお金の使い方について、とある日本人にめちゃくちゃ批判されました。

ヨガの聖地に長老登場

その土地には長老のような風貌をした日本人のおじさんが住んでいました。

ヨガの修行のための寺院に毎日いたので、ヨガ修行者か何かなのかな?と思っていたのですが、今でもその人がどういう存在だったのかよくわかりません。

その方は日本で商社勤めだったけれど、日本経済の浅ましさに辟易し、インドに移住し数十年、とのことでした。

家族はいないようで、ボロボロの肌と衣服で、仙人もしくは浮浪者のようないでたちでした。

彼は日本人を見かけると、「インドでは1食いくらで暮らしているんだ」と聞いてまわり、「日本人は贅沢だ。これだからだめだ」と批判してまわっているようでした。

日本にいたら確実にやばい人だね。

長老の批判内容

彼は、私が運転手付きの旅をしていることを知り、激しく批判しました。

何やら「日本人はなんでも金で解決し、魂が汚れている」とのことでした。

私は、ヨガの荘厳な修行に参加できると思っていたのに、ふたを開けてみると長老のような日本人の「日本での栄光の日々自慢」もしくは「日本人批判」を交互に聞かされ、正直がっかりしました。

その土地には2週間滞在をしようとしていましたが、予定を3日で切り上げて別の場所に移動しました。

長老とはそれきりです。

長老は何が言いたかったのか?

結局、長老が言いたかったことは、当時の「日本人の経済至上主義」への批判でした。

ただ、それ以上に私が気になったのは、長老自身が全く幸せそうに見えなかったことです。

何があったのかわかりませんが、日本から一人でインドの山奥に移住し、同じ日本人に出会っては過去の自慢同族への批判を交互に語る日々。

正直、世を恨んでいるようにさえ思えました。

彼は、私がその旅で出会った誰よりも孤独なオーラをまとっていたのです。

私が感じたこと

誰かを批判するということは、今の自分に満足していないということ。

私はその長老の姿を時々思い出しては、悲しい気持ちになりました。そして、以下を悟りました。

  • 偏狭な思考と極論支持は人を孤独にさせる
  • お金というものを極端に嫌ってはいけない

私は今ではミニマリスト思考ですが、それは全てを捨て去るというものではなく、「自分にとって無駄なものを捨てる」ということになります。

長老は、きっとどこかで何もかも嫌になり全てを捨て去ってしまった結果、「持っている人」を憎むようになってしまったのではないかなと思いました。

私は長老を反面教師にし、人を批判せず、自分の思考は自分だけが大切にし、淡々と生きようと思いました。

そして、お金への欲に執着しないことと同じくらい、お金のことを嫌わずにいることが大切なのではないかと思いました。

まとめ

上記の経験から学んだのは、どんな世界にも「偏狭な人」「極端な思考」は存在するということ。

もしあなたがそういう人と出会ってしまったら、その思考から取り込めることがないかをニュートラルに観察してみましょう。

全くなければ、反面教師にしましょう。

私はお金嫌いの長老に出会って、「欲と嫌悪、どちらの意味でもお金に取り憑かれるのは良くないんだな」としみじみ感じました。

それからというもの、お金を変に毛嫌いしていないか?もしくは変に欲深くなっていないか?と自分を観察するようにしています。

皆さんももしどちらかに偏っている自覚があれば、インドの山奥で暮らす、不幸せそうな長老を思い出してください。

偏狭さって、孤独と隣り合わせなのかもしれません。

何事もバランスって大事なんだね。

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