こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
友人が亡くなりました。
あまりに突然の訃報だったので、私の心の記録を綴ります。
今回は、「友を悼むことは、残された人間の生きる力になる。」についてお伝えします。
突然の訃報
その人は、このブログでも紹介したことのある、私の大切な友人です。
カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」という小説があるのですが、私たちはまさにあの本に登場したようなすばらしい幼少期をすごしました。
学校の友だちというわけでもないのに、集まればずっと笑っていられる10人ほどの仲間うちの一人です。
そのグループラインで、この突然の訃報が知らされた時、驚きすぎてタップする手が震えました。
私が訃報を聞いて、まず最初に思ったのは、
最後に奴に会った時は、笑顔で別れたっけ?
でした。
実際には、今年の春に、LINEでやりとりしたのが最後でした。
そのLINEを見返してみると、ものっっすごい平和なやりとりをしていて、思わず笑いました。
香典を郵送するのにドタバタ
私は個人で働いているので、どうしても仕事に穴をあけられず、遠方の葬儀に参加することができませんでした。
ちょうど繁忙期だった。仕方ないね。
そのため、気持ちばかりの香典とお手紙を、現金書留で送らせてもらうこととしました。
香典って、斎場に直接郵送できるってご存知でしたか?(たまに受け取れない斎場もあるようなので、まずは電話で確認しましょう。斎場住所の末尾に「気付」と書くのをお忘れなく。)
私はお恥ずかしながら、こういう時の基本マナーを知らないので、ネットで調べながら色々準備しました。
もうこの時点で、天国の友人から「もふちゃん、ガラにないことしてるねえ。」と、ゲラゲラ笑われていそうです。
準備を終えて郵便局に走ると、ここでもアタフタ。
都心の土曜午前って、もうほとんどの郵便局の窓口がやっていないんですね…。
くぅ、働き方改革の波がここにも!と思いながら、3軒目でようやく稼働している窓口に辿り着きました。ゼイゼイ。
友よ見ているか、私の走れメロス的勇姿を。
帰りは洋食屋でオムライス
考えてみれば、事前に開いている郵便局窓口を検索すればよかったのですが、きっと気が動転していたのでしょう。
現金書留での郵送を終えて疲れ果てたところに、ずっと行きたいと思っていた洋食屋が目に入りました。
これはもう、エネルギー補給するしかない!と立ち寄りました。
友人との記憶は、しょうもないものばかりだった
このオムライスを食べていたら、視界に色がついてきて、ようやく心がゆるみました。
そして、なぜか、その友人とのしょーーーーーもない記憶ばかり浮かんできました。
- 今の季節、奴はみかんを食べすぎて、いつも手がオレンジ色だったな。
- 皆が冬のお洒落に気をつかう中、一人だけガチの業務用長靴を履いていたな。
- いろんな人が奴のこと好きになって、私もよく相談されていたな。
- 年賀状に「いぇい!お正月」とだけ書かれたのが送られてきたな。
でも、こういうくだらない記憶だけが残るって、おそらく友人にとっても本望でしょう。
おいしいオムライスを食べて、秋の空気を楽しみ、銀杏の葉を拾ったりしながら、のんびり帰宅しました。
悼むことは、じぶんの生きる力になることです。
私もいつかは命を終え、こうして残された人のなかで、温かい記憶だけが生きるといいな。
友よ、またいつか会おう。
まとめ
以上、「友を悼むことは、残された人間の生きる力になる。」についてお伝えしました。
私たちは何もかも笑いとばして生きていくタイプが集まっているので、これからも奴の愉快な思い出話を共有しては、何度でもカラカラ笑って生きていくのでしょう。
いま、さっそくお通夜での笑い話(?)が、グループラインにポコポコ届いています。
普段はそれぞれの場所で生きているし、繊細な言葉では語らない人たち。
でも、こうして記憶を共有し、孤独をわけあう大切さをよく知る人たちです。
自分もそういう強さとしなやかな心をもって生きていこう、と改めて思いました。
そして、誰と会う時でも「帰り際には笑顔で別れる」と決めていてよかったです。
家族・友人に限らず、常に「これが最後になるかも」と思って接するのがおすすめ。
【関連】この話の友人とは違いますが、私が友という存在について思うことを綴っています。