じぶんはじぶん。あなたはあなた。正義中毒を捨てて気持ちよく会話するコツ。

ミニマルライフ

こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。

みなさんは「正義中毒」という言葉を知っていますか?自分とは異なる考えや行動をなかなか理解できず、許せないと感じてしまうことだそうです。

今回は、私たちが陥りやすい会話の落とし穴「正義中毒」について綴ってみたいと思います。これを読むことできっとより気持ちの良い会話ができる人になっているはず!

外国人のお客様との会話が心地が良い理由

私はペットシッターとして働いているのですが、都心は外国人のお客様が多いため、毎度冷や汗を流しながら会話をしています。

先日はPark(公園)という単語が出てこない自分に戦慄したよね。

ペットシッターになるまでの経緯はこちら↓

言葉の問題はあるのですが、彼らと話していると心地よい場面が多いです。なんとなくですが、自分の価値観が確立されている人が多いような気がするのです。

また、以前の職場で一緒に働いていた外国人の同僚たちも、いつも会話の根底に「あなたはあなた。わたしはわたし」という自立した思考がある人が多かったです。

その反対に、日本人は共感に重きを置いている人が多いので、会話の時に気を遣わねばならない場面がけっこうありました。

相手の志向を論破しようとする日本人

日本人で子育て中の友人と話していたときのエピソードです。

子育ての話になり「もふもふちゃん、子どもは?」と聞かれました。

私は子どもを欲しいと思ったことがないので、今後その予定はないと伝えたところ、彼女の表情がサッと変わりました。そして、なぜか猛烈に反論を始めたのです。

まるで私が論理から外れた発言をし、それを論破しようと必死な雰囲気でした。私は彼女の剣幕にびっくりし、何か自分に思い至らない点があったのかと不安になりました。

「子どもは可愛く、かけがえのない存在。年齢制限もあるから考え直した方がいい」というのが彼女の主張でしたが、私はその主張の内容よりも、彼女が怒っているように見えことが気になりました。私を心配して言ってくれているのかな?とも思ったのですが、それともまた違う様子です。

私は自分のことを聞かれたから答えただけなので、なぜ彼女が気分を害したのかが全くわかりませんでした。その時は、子どもの話はどうやら自分が思う以上にナーバスなものなのだ、というのが感想でした。

相手の意見は「そうなんだ」で終わる、アメリカ人

そして、しばらくして同じことを別の友人から聞かれたこともありました。彼女はアメリカ人で、やはり「わたしはわたし。あなたはあなた」が根底にある思考をする人でした。

私は日本人の友人との会話を思い出しておそるおそる、私は子どもはつくらない予定なのだと伝えました。すると、彼女からは「そうなんだ。私の場合は欲しいな。なぜなら…」と何事もなく会話が続きました。

私は目の前の彼女の反応にとてもほっとしたと同時に、この違いはなのかを考えました。

否定されたように感じた日本の友達

後から振り返ると、冒頭の彼女は自分の人生が否定されたように感じたのだと推測します。

全くそんなことはないのですが、私の「私は子どもいらない」発言が、彼女の目指す「子どものいる人生」に価値がないと言われた気がして、慌てて反論したのではないでしょうか。

つまり、彼女の脳内で「相手が自分と反対の発言をした=自分を否定されたと変換されていたのです。そして、自分とは異なる私の考えを理解できず、許せないと感じてしまったのかもしれません。

一方、米国人の彼女は私に否定されたとは微塵も思わなかったと思います。

このエピソードと似たような場面が、職場でも度々ありました。個人の志向や好みの話だとしても、日本人は自分と違う志向を持つ人を論破しようとすることが多く、欧米圏の子は「あなたはそうなのね。私はこうよ」という話し方をする人が多いのです。

この違いは気のせいなんかじゃない。何か理由があるのではないか、と思いました。

日本:同調されないことに慣れていない

では、なぜ日本では多くの人が反対意見を聞いて「自分が否定された」と思ってしまうのでしょうか。

もちろん個人によるところが大きいのですが、育ってきた文化によるところも多少は関係しているのかもしれません。

たとえば同調圧力の強い日本では、目の前の相手と正反対のことを言う場面は多くありません。私も相手と意見が異なる場合に、無意識に発言を控えることがあります。共感を重視する流れで、あえて反対のことを言って話の腰を折るのはよそうと思っているのだと思います。

欧米:相手と異なるのは当たり前

一方、アメリカ人の友人に聞いてみたところ、彼女の国では基本的には「相手は相手。自分は自分」という教えが刷り込まれているのだと教えてくれました。つまり「相手と自分は別の人間で、人生の方向や志向性が異なるのは当然」といった教育を小さな頃から受けているということでした。

こう考えるようになってからは、夫と意見が異なる時にムキになる自分を振り返るようになりました。そして「じぶんはじぶん。あいてはあいて」と言い聞かせています。自分に共感してくれないからといって、他人の価値観を「正しくない」と声高に主張する必要はないんですよね。

共感してほしいからって相手をねじ伏せても、気持ちのよい会話にならないよね。

まとめ

私は共感を大切にする日本文化と自立した考えの米国文化、どちらの文化も素晴らしいと思っています。

そして、これらの違いはもしかしたら文化関係なく、ただ私が遭遇した人たちの特性だったのかもしれません。

ただ、この一連のすれ違いエピソードがもし文化の違いによるものだとしたら、日本人が幸福満足度で世界から遅れを取るのは当然です。どの人の志向性も間違っていないし、自分で選んだことで自分が幸せなら、誰を攻撃する必要もないのです。

誰かがあなたと違う意見を言った時、もし反論したい気持ちになったら「これって正義中毒?」と立ち止まってみてください。そして相手をよく見てみてください。

その人は相手を否定したわけではなく、あくまで自分の考えを話しただけです。あなたは誰とも戦う必要はないし、自分の答えが正解だと世界に主張する必要もないのです。

幸せな会話がこの世に増えますように!

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