こんにちは。好きなことでゆるく働き、都心ミニマルライフを楽しむもふもふです。
私は40代ですが、若い方がメインターゲットの動画系SNS「TikTok」がけっこう好きでよくみています。
彼らのクリエイティブ力やセルフブランディング力って本当にすごい!私たちの頃の比じゃない素晴らしい能力です。
一方、もしこれが本当に私の時代にあったら、なんとなく私の青春はまたひとつ違うものになったんじゃないかな?なんて想像しています。
今回はSNSとの付き合い方と、現代の相対的価値観について綴ってみたいと思います。
現代は圧倒的「相対価値観」文化
私が高校生の頃は、ビジュアルを見せるInstagramやTikTokなんてものはありませんでした。そのため、たとえば「かわいい人」は全てテレビの中の女優さんのような「特別な人」。
今の若者って、その存在を中高生の頃に知るわけですよね。もちろん加工技術もありますが、実際に都心で見かける可愛い子って本当に、素で可愛い。
先日、病院の受付の方が広瀬すずちゃんそっくり!二度見しちゃったよ。
そして、もし私が高校生の頃にそれを見ていたら、多かれ少なかれ相対的な価値観が生まれていたと思うのです。もしかしたら自分の容姿を気にしたり、卑屈になっていたかもしれません。
同級生の言葉で気づいた価値
先日、高校で同じクラスだった男子・田村くん(仮名)と飲んだのですが、彼が面白いことを言っていました。
「俺たちのクラスって、恋愛のいざこざも特になかったし、子どもみたいに文化祭に燃えたり部活に打ち込んだりしていたよね。そういう学生時代って、今思うと本当に価値あるものだったよ。」
それを聞いて、たしかに田村くんのいうことは一理あるなと思いました。
私の高校生時代
私たちの通っていた高校は数年前に廃校になりました。それくらい田舎にある学校でした。
特徴的だったのは、たぶん全員が全国的な高校生より幼かったこと。
クラスの中で付き合っている人たちもいましたが、なんとなく牧歌的というか、恋愛や派閥が絡んだドロドロしたものは一切ありませんでした。高校を出ると地元で就職する子も多かったので、今思うとこの期間が私たちが大人になる前の最後の子ども時代でした。
「自分の思春期に、変に大人の価値観が介入しなくてよかった。煩わしいことはその後十分味わうから、クラスメイトとの幼く楽しいだけの記憶があってよかった。」
同級生の田村くんが言っていたのは、多分こういうことだったと思います。
ではなぜ私たちは大人の価値観に煩わされず、幼い子どものままでいられたのでしょう?
比較の価値観が薄かった
その大きな要因は「比較の価値観が薄かった」ことにあると思います。
もちろん成績の優劣はありましたが、スクールカーストのようなものはほぼありませんでした。目立つ子も、オタクも、勉強を頑張る人も、部活に打ち込む人も、みんながそれぞれの持ち場で楽しんでいる雰囲気でした。
私も田村くんに言われて、これがどんなに素晴らしい世界だったか、どんなに私たちの精神を健康に保ってくれていたかを改めて思い出すことができました。
それぞれが違って当たり前だし、それぞれが大切にしていることをまっとうしていい。
思えば、あの頃は全員が絶対的価値観を持って、自由に自分の世界を楽しんでいました。もしかすると、外界から入ってくる情報が少ないと、こういう価値観になりやすいのかもしれないなと思います。
現代は比較が当たり前の価値観
そんな頃に、もしSNSがあったら。
それは例えば自分の外見の価値観を相対的に知ることになりますし、匿名からの攻撃を恐れる価値観につながるかもしれません。
正直、気にしなければならないことが増えるなあという印象です。
ちょっと息苦しい気もするね。
容姿を比較されるようになったのは大学生の時
ちなみに、私が自分の容姿を相対的に知ったのは大学生の頃でした。
高校を出るまでのほほんと生きてきた私には「容姿をあからさまに比較される」出来事は、本当に衝撃的でした。この経験が中高生だったら卑屈になってたかも。
でもここで現実を知られてよかった気もする・・・。
相対的価値観のメリット
もちろんこの価値観のメリットも大きいです。
どんな田舎にいても、実力と魅せ方の工夫があれば、誰でも時代の寵児になれます。事務所に所属していなくても歌手になれるし、下積みがなくてもインフルエンサーになれます。
かわいくなりたいと思ったら、メイク方法からファッションまで全て親切に教えてもらえます。
年齢やキャリアみたいなしがらみが全く必要ない時代に突入したことは、本当にすばらしいことだと思います。これはこういった相対的価値観の海ができたからこそ、生まれた世界なんですよね。
なので、私はどちらがいいとは言えません。ただ、ひとつだけ言えることは、今の自分を作っているのは自分!というわけではなく、時代によるものも大きいのだなとしみじみ考えています。
まとめ
相対的価値観も絶対的価値観も、時代によってどちらもあっていいと思います。
重要なのは、どちらの価値観もほどよく取り込んでいいとこ取りすること。
そして、その中で「自分の心が本当に望んでいること」を見つけることだと思います。
私は今の時代のエンタメであるTikTokも、カオスのTwitterも好きです。
楽しくなくなったら距離を置けばいい。ほどよく楽しみつつ、自由でいたいと思っています。
最近はVoicyも気になっているよ。